須賀次郎のURL
辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2011年 12月 30日
今年、2011を振り返って、日本人ならば誰でも、3.11を忘れないでしょう。
日本人であること、日本と言う国のことをみんな考えたとおもいます。 その混乱のなかで、日本人ならば、ダイバーならば、水に潜って何かをしたい。もはや、体力などほんのわずか、水中で生きているだけが精いっぱいの年齢です。 福島は、僕が最初に人工魚礁の調査を始めた海、思い出ふかい大事な海です。できることと言えば放射能の調査です。理研の守屋研究員と海洋大学の山川客員教授と、力を合わせ、mそして日本水中科学協会のメンバーみなさんの後押しで試行錯誤を重ねました。ようやく、冬を前にした11月から福島で調査ができるようになりました。海洋大学の石丸教授、福島県水産試験場の五十嵐場長、福島県いわき市漁協の皆様のご協力のおかげでもあります。 成果は、まだこれからあと、4回の潜水のあと、守屋さんが発表する予定です。 印象に残っている写真を並べます。 ![]() ![]() お世話になっている八百板船長、78歳 元気です。測定器を手渡してくれます。 山川先生、僕が流されないように竿をだしてくれています。 ![]() これから潜降、水面の目線です。 ![]() 調査中の守屋博士、透明度はこれでも良い方です。この日はうねりがありませんでしたが、たいていはうねりがあり、身体が巻き上げられます。 ![]() 浮上して、これから船に引き上げてもらいます。 昭和44年に潜った、この冲あたりの魚礁。来年はこの魚礁に潜る計画をたてています。 ![]() ![]() アイナメと刺し網が後ろに見えます。ここ四倉はアイナメがおいしくて、ブランドでした。早く、またアイナメが獲れるようになると良いとねがっています。 In the world’s broad field of battle In the bivouac of life Be not like dump, driven cattle Be a hero in the strife! 闘いの場で 人生の野営地で 黙って駆り立てられる家畜であるな 断固戦う勇士であれ 周囲の人達をみていると、新しい日本が立ち上がったと確信しています。 老兵が生きないと日本は倒産します。もう少しの時間、闘わせてください。 ▲
by j-suga1
| 2011-12-30 10:53
| 日記
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2011年 12月 29日
今年もあと 2日、使っているデジカメ、ペンタックスW90のカレンダー機構、他のデジカメにもあるのだろうけれど、必ず毎日撮影していると、あの日に何があったかわかって楽しいし、ログになる。この機構に気がつかないで、コンピューターに画像を移すと、後はSDカードから消してしまっていた。8月からのカレンダーになっているが、毎日とるようになったのは11月からだ。 ![]() コカコーラでもなく、ペプシでもないコーラ、 ![]() ミスドのコーヒー 何時間居てもよいコーヒー店で、お替りを持ってきてくれる。店員さんが40代以上だと、何回ももってきてくれる。高校生アルバイトだと、通り過ぎる。どういうこと? 今年の仕事、あと銀行振り込みが二つ、辛い。年賀状を作って出すか?原稿は、「ダイビング・水中活動の基本用語」とグラフィティ、これはエンドレス。 グラフィティは、プレゼンの原稿はすごくよかったのに、と娘に言われる。文章力が落ちている。7000字ぐらい書いて、5000字に絞ろう。 基本用語の原稿は、監修のN先生に、まず定義を書け、定義は「・・・とは、・・・・という。」で統一しろと言われる。同じ語尾が連続すると蕁麻疹をおこすようにトレーニングしてきたのに。 定義が無いと、赤字で直しが入る。「スノーケリングベストとは救命胴衣をいう。」違うんだって、と思いながら、文章が悪いから、そのように思わせてしまう。自分たちが常識的にしっていることを一般人は知らない。読者対象の多数は一般の人なのだ。N先生の指摘は、すごくためになっている。 スノーケリングベストは、救命胴衣だけど、・・・・ 書きなおす。 「スノーケリングベストとは救命胴衣をスノーケリングに着用している状況をいう。 子供のスノーケリングはライフジャケットを着用するべきである。この用途にあわせて、首かけしきの小型ライフジャケットで吹き込み専用であるスノーケリングベストが売られるようになってきている。」 これで良いだろうか。 水温計 潜水者が使用する水温を測る測定器をいう。( これでよろしいか?) よろしくない。どう書きなおすか。書きなおしようがない。 全面的にカットするしかない。カットもできないので、ダイブコンピューターにまとめよう。 ダイブコンピューターdiving computer gauge 減圧停止の時間管理も、体内に残った窒素の残量も表示してくれ、記録してくれる計器をいう。水深、水温の計測、記録もするので、特別の場合を除いて、水深計、水温計は不要になった。(第3章 減圧の項参照)ダイブコンピューターのゲージパネル ただし、ダイブコンピューターの水温計は誤差が大きい。科学的な目的で水温の測定が必要な場合には、さらに正確な水温計を水中に持ち込む必要がある。 水深計 depth meter についても、高気圧作業安全衛生規則では規則上の必携品になるが、実態としては、ダイビングコンピューターは広義の水深計であり、水深計としても機能が充実している。水中時計 も高気圧作業安全衛生規則では、「防水装置の異常の有無、時計の異常の有無」について、三ヶ月に一度点検することに定められていて、必携であるが、常識的には、ダイブコンピューターを着け、水中時計を着け、水深計を着けて潜水するとは考えられない。規則の改訂が求められるし、近く改訂されると期待する。 コンパス Compass 潜水者が水中で方位を知る計器(コンパス)(これでよろしいか?) 水中ナイフ diver's knife 潜水者が水中で使用するナイフをいう。 水中ライト diver's light 潜水者が水中で使用するライトをいう。 これでもか、これでもか、と難題がでてきて楽しい。 要するに、コンパスと言ったって、登山用もあるし、ダイビング用もある。その特徴を述べなければいけないのだけど、その前置きとして、水中でダイバーが使うものですよ、と言う表現が必要ということだろう。 ただ、同じ表現が続くと蕁麻疹がでるということ、克服しなければいけない。 ついに年賀ハガキを100枚買ってしまった。これが200枚になり300枚にと追加することになる。そうならないように厳しく自分を戒めているのだが。 ▲
by j-suga1
| 2011-12-29 08:17
| 日記
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2011年 12月 27日
お台場で尾島さんの奥さん、ハードなダイバーで、ウエットスーツで8度までは潜る人、に来年喜寿の先取りだと言って、カメの背に犬のようなドラゴンが乗っている置物をもらった。今頃、ああ、来年はドラゴンの年だったのかと気づく僕。きっと、苦労して考えてくれたのだと思う。ありがとうございます。
![]() 今日は、ほぼ予定通りに企画書の一部を書き上げた。50万の助成申請に500万ぐらいのプロジェクトになってしまった。まあ、企画書をたくさん書くことが大事だと思っている。企画書のストックが沢山あれば、なにか、どこかでできる。 来年はフーカーの年にしようとおもっている。 助成金の企画書にもフーカーのことを書いた。 僕が27歳の時の100m潜水は、フーカーのテストだった。そのことはグラフィティに書く予定だが、その時からストーリーが始まっている。 フーカー潜水器とはスクーバ(タンクとレギュレーター他一式)を装着したスクーバダイバーに対して、船上、もしくは陸上から、大型タンク(高圧容器)もしくはコンプレッサーから呼吸気体をホースで送気することによって、ダイバーは2系統からの送気を受けることが出来る潜水器である。ここに述べたフーカーは、プロの大深度ダイバーなどが使用するシステム潜水のダイバーが装着使用する潜水器を取り上げたものである。元来の従来型のフーカーは、これとは若干異なる。 二系統の呼吸気体供給を受けるので空気が切れることがなく、また送気ホースに電話線を這わせることによって、水面との有線通話を行うことができる。通話を明瞭にするためには、顔の全部を覆うフルフェースマスクを着用する。 送気ホース及び通話ケーブルは、ダイバーの手元で容易に切り離し、接続ができるカプラーとコネクターでダイバーを繋がっており、ダイバーは緊急時、もしくは必要のある時はホースと有線通話信号線との接続を切って、自由に普通のスクーバダイバーと同様に動くことができる。 もっとも安全度が高い潜水器であり、プロの作業ダイバーは、このフーカー潜水器を使う。(いくつかのバリエーションはあるが)水産高校、海洋高校の生徒に対する講習用として最適であり、また、水産・海洋高校の卒業生がダイバーとして就職するのは、このフーカー潜水器を使用する業務である。 しかし、どう説明しても、ダイバー以外の人にフーカーのことをわからせることは、不可能。助成金にフーカーのことを書けば、まずわからないから没になる。 資金調達をどうやろうか。スガ・マリン・メカニックリン時代、フーカーのホースは倉庫の中で腐らせてしまった。ゴムだから、老化する。老化すると危ない。1980年に使ったホースだから、今あっても使えないだろう。 「ダイビング・水中活動の基本用語」7月に原稿が書きあがり、11月には出版、この本をテーマに12月にシンポジウムを開く、日程も12月12日と決めていた。トリムをとった水平姿勢がもう一つのテーマだから、慶良間でその講習をしている理事の井上慎也君にも話してもらう予定、彼の日程に合わせた。12月12日も過ぎ、年も暮れようとしている。まだ、原稿もできていない。 震災もあった。久保君は原稿を書いてくれない。しかし、そのことは言えない。彼と思考のパターンが違う。僕はさっさと書いてそれを見てもらい、書きなおしてもらって仕上げて行く、それで、実は僕の原稿も終わっていない。メンバーみんなに見てもらい、意見を聞き、自分も調べて行くと、次々と新しいことがでてくる。第4章、器材と運用 10回以上書きなおしている。それでも新しいこと、知らなかったことが出てくる。この連休と正月休み、閉じこもって、大幅に書きなおそうとしている。 久保君に第5章 技能とその講習・トレーニング方法 を担当してもらっているが、彼は一発で決めたい人だ。一応、ミックスガスの部分を除いては出来上がった。期待にたがわず、すばらしいものだった。もちろん意見の違う人がメンバーに沢山いるから、直しがはいる。一番まいるのは、文体についての意見のちがいだ。監修の中谷先生は文科省で、教科書の審議をされていた。すべて表現を統一しようとする。僕は同じ表現が二回連続すると蕁麻疹がでる。 いろんなことが同時進行している年の瀬だ。そのことを幸せと思わなければいけない。 ▲
by j-suga1
| 2011-12-27 19:09
| 日記
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2011年 12月 25日
12月25日
世の中はクリスマスの日曜日。 久しぶりで、波もなく、風もなく、うねりもなく、流れもない透明な海に潜る。透視度はおよそ2mのお台場だ。 ![]() ![]() 昔、買ったインナーを久しぶりに着てテストをする。インナーの下には、ダマールの長そで上下、ウエイトベストは7キロ、腰に3キロ、足に0.7×2で合計1.4キロ着ける。 水深1.5-3mだから、これでよければ、どこでも大丈夫だろう。 ![]() アカニシ交尾 ![]() アカニシの卵 今の季節、当然めぼしい魚はいない。アカニシは、そこここで交尾している。この貝は、一年中恋の季節だ。トゲアメフラシの交尾は、11月で終了したようだ。散らばっている。 何もいないから、純粋に技術の練習ができる。海底の15cm上を滑ってゆく。フロッグキックは体が揺れてしまうから、足を上に上げて、小さなフラッたーキックをほんのわずか。アカニシが軟体を出して歩いているのを見つける。ストップが出来ない。ストップできればバックできるのだが。身体のバランスがくずれて浮いてしまう。水深1.5mは、ちょっとバランスを崩せば水面に出てしまう。本当に下手だ。僕は年をとって体が動かなくなって下手になったのか、もともと下手だったのか。 昔は、水平姿勢でストップしようとせずに、すぐに膝を突いた。膝を突いて、ストップして、泥が収まるのを待った。膝を突かないで、きれいなバランスで撮影ができたのは、水深3m以上の岩礁とかドロップオフだ。 昔、こんな論争をしたことがある。カメラマンは三脚なのだから、しっかり足を海底に着けて撮影するのが良いというカメラマンが多かった。僕は、浮いて撮影する派だったが、浮き方が今とちがう。とにかく、お台場は絶好の練習フィールドだ。 ![]() 風呂田先生は、研究のための採集と測定のかたわら、タッチプールを作って、皆が集めてきた生き物を入れている。もちろん、終われば水に返すのだが、子供たちは、本当に良きものにさわるのが好きだ。水族館のタッチプールよりも、ここの方が、現地採りたてだ。 水温は13度だったから、もちろん寒くは無いが、1時間ぐらい泳いでいると冷えてくる。インナーのバランスは良かったから、これで行こう。 ▲
by j-suga1
| 2011-12-25 18:19
| 日記
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2011年 12月 24日
何日か前に、D論で頑張っている。らしい、杉原に、「まあ、終わりのない旅だから。」とツイッターで出したら、「人生は冒険だから」と答えが返ってきた。そのことをフェイスブックに載せたら、 芝浦工大教授の足立先生から ずいぶん前ですが私もD論を頑張りました.今では指導や審査する側です.たぶん睡眠時間を削って頑張っていることと思います.頑張ると必ずご褒美があるとお伝えください.なお,博士号は「足の裏に付いた米つぶ」と呼ばれています.「取らないと気持ち悪い.しかし,取っても食えない」. そして杉原から 足立先生、須賀先生ありがとうございます!もう逆風しか吹かないんじゃ無いかと思うとき、ふと「冒険」という言葉を思い出します。できれば普通の奥さんをやりながらまったり生きたいと思っていましたが、どうやら無理らしいので、荒波を笑顔で渡りきる術を身につけたいです。 ![]() その杉原から、僕とのツーショットを年賀につかいたいとメールが来た。僕は爺に写っていて嫌だけれど、杉原はカッコいいからどうぞ、と返事をだした。 本当に自分とは思えない。ダイバー今月号のグラフィティとくらべると。 ▲
by j-suga1
| 2011-12-24 09:35
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2011年 12月 23日
1月の福島に備えて、クロロプレンの靴下2足、280円、グローブ380円、どちらも作業用だ。ダマールの長そで上下、流氷に潜っていた時のインナーを押し入れから引き出した。ドライスーツの下に着て、ウエイトはどうだろう。25日にお台場の潜水があるのでテストできる。お台場を月例で潜っていて、こういう時に便利だ。気になっている撮影のテストもできる。
![]() ![]() ところで、暖かい、もしかしたら暑い、西表に行き気勢を上げている守屋博士、ウエットで大丈夫?寒いと言うことはどういうことか、思い知るでしょう。まあ、僕が守屋さんの年齢のころ、流氷にウエットで潜って死ぬかと思ったけれど。 今の僕は昔の僕ではない。潜りつつ、今年の冬を乗り切れれば来年は大丈夫と思って毎年の冬を送る。 乗り切れるだろうか。 子供のころ、寒いと言うと、「満州の兵隊さんの寒さを思いなさい。」と言われた。今は、震災で家をなくした北国の人たちを思う。でも、陸上は暖房があるからきっと暖かいだろうと思う。冬は寒いもの、寒さに耐えてこそ冬、口ではかっこよく自分をむりやり励ますが、着替えるところもない、吹きさらしの現場ではよれよれだ。「冬来たりなば、春遠からじ」 冬に多分福島か三陸に潜るだろうと予想して、夏でもお台場ではドライで通した。JAMSTECの研修でもドライを着ていた。これによって、秋から冬にかけてのウエットからドライへの衣替えをスムースに、いや、衣替えの抵抗感を失くそうと考えた。しかし、それでもドライスーツは抵抗がある。歳をとるとドライはつらい。ドライなど着なくても良いダイビングを楽しめばよいのだろうけれど、そういうダイビングではない現役のダイビングを80歳まで続けると60歳の時に決めた。これが生涯最大の、もちろん20年だから最長の冒険だと位置づけた。もちろん、運が良ければ達成される冒険だけれど、冒険とはもともと運が半分だ。65歳で癌になったけれど、運よく乗り越えた。もうそれから10年たっている。 生涯最大の冒険、続行中だから、ドライを着てでも冬の福島に立ち向かう。 ![]() 一緒に潜っている守屋博士は、ワイルドな人だけれど、ドライを用意してあげた方がよいのではないかと、前から言っているが、かれはウエットに固執している。しかし、ギブアップするかもしれない。 オフイス・カオス(僕の事務所)のドライスーツを引き出した。4着ある。中の一着は、僕が60歳の記念に100っ潜った時に、赤いブレザーのかわりに作った朱色のドライだ。4着のどれもが、自分が着ていたものも含めて足が入らない。靴のサイズではなくて、足首の部分が通らないのだ。スポーツタイプは、靴の部分に空気が入りにくいように、足首部分が絞ってある。今着ているドライは、足に空気が回ってもよいからと足首を太くしている。みんな僕よりは足は大きいはずだから、これでははいらない。ゼロの五月女さんに電話して、足首部分の幅出しが出来ないか聞いてみた。足首の甲の部分を切り裂いて、2cmほど幅出しをすれば良いと思う。1月5日の辰巳新年練習会に来てもらって、一応合わせて見てから直すか、それとも直さないで使えるかもしれない。 ▲
by j-suga1
| 2011-12-23 19:46
| 日記
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2011年 12月 22日
歳の暮れなのにさびしいことばかり。 暮れだからさびしいのかもしれない。 ![]() 深川たかばしの(現在では森下町となっている)どぜう 伊せ喜 が閉店してしまった。子供のころから親に連れて行ってもらい、学生になってからは、仲間と行っていた。どじょうは、ほんとうは「どぜう」と書かなければいけないのだが、姿丸ごとの丸鍋と、割いて骨をぬいてある「ぬき鍋」がある。どじょうで有名なのは柳川だけれど、あれは柳川が本場であって、江戸っ子の食べるものではない、と僕は教えられた。マルは浅い鍋だが、「ぬき」は少し鍋が深い。これも、抜きは本格派ではなく、まるでなければいけないと言う人もいる。 学生の頃、お金が無いから、鍋は一人前、「抜き」鍋を頼む。丸よりもぬきの方が高いのだが、」ねぎをたくさん盛り上げて、ネギだけで食べる。ねぎはお替り自由で無料だ。そこにご飯をいれておじやにする。1人前でおいしく満足できる。つい5年ほど前、その時はもう、一人前だけではなかったが、最後におじやにしょうとして、蓮華をくださいと言ったら、「なんですか?」と聞かれた。もしかしたら、蓮華を知らない店員なのか。、おじやを作りたいと言ったら、「鍋がよごれるから困ります。」と断られた。それで、しばらく行かなくなった。 どじょうが好きだから、駒形に行くようになった。駒形も昔から行ったが、はとバスのコースになるようになってから、足が遠のいていた。が、伊せ喜がおじやもたべさせてくれないのでは、仕方が無い。、東大の小久保博士、JAUS理事の坂部さんと行った。おいしかったので、伊せ喜は、もっとおいしいと言って同じメンバーを連れて、久しぶりに伊せ喜に行った。みんな、僕の顔をみている。駒形の方がおいしかったのだ。味がおちた。そのころにはもう、昔の賑わいは無く、えーっつと思うほど空いていた。 でも伊せ喜が無くなって寂しい。後継者がいなかったと言う理由だろうが、味が落ちて、良いお客が来なくなったためもあるのだろう。 ![]() 浦安海豚倶楽部のダッシュ練習です。ダッシュと言っても、高齢ですから、死なない程度のダッシュです。この撮影はプールが浅い方が迫力がある。 このごろの、僕、カメラはペンタックスのW90 そしてGOPROをつかっている。浦安の方は、GOPROだ。仕事というか、撮影についての研究はGOPROで、日記がペンタックスだ。もう少し撮ったら、GOPROについて、何か書ける。 W90の方は、カレンダー機能があるので毎日必ず、日記的にとる。 少し前、7月の終わりまでは、ペンタックスで撮ると、コンピューターに画像を移すと、SDCの画像を消していた。今は、必要なものだけコンピューターに移して、後はそのままにしてある。4GのSDCで8月から、12月まで、撮って、まだ1G残っている。SDが一枚500円だから、半年分で500円ならそのまま残しておくつもりだ。 8Gを買ったから、新しい年から8Gで、半年は持つだろう。 ▲
by j-suga1
| 2011-12-22 23:06
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2011年 12月 20日
2011年、あとのこすところ11日になってしまった。
昨日は忘年会その3、マンスリーセミナーの忘年会があった。 場所がわからないので、1時間の遅刻。もう食べるものもなく、鍋のうどんと、冷えた串焼き、デザートをいただいた。4000円の会費を1000円にしてもらった。最後に来年の抱負をと振られて、抱負を一言、二言、三言ぐらいしゃべった。乞うご期待。まだ書くのは、はやい。大晦日に書こう。 今年最後の浦安海豚倶楽部。 プールの底の昇降装置が故障してしまって、これが本当のスノーケリング状態。 この写真も悪くはないとは思うけれど。 ![]() しかし、昔は、フィン・マスク・スノーケルを着けて泳がせてくれるプールがなかった。そのことを思えば、とは言いますが、やはり困ります。2月、3月は、辰巳でしのぐのですが、4月に復活してくれれば良いと願うだけです。 そして、やがて11月からは、辰巳の国際水泳場が休館になる。どうしよう。 そんなに先のことを考えるのはやめよう。 浦安から、戻ってきて、浦安で撮った画像の整理をして、WIFi の切り替え登録をした。2年経過していないので、解約料を毎月1400円の割合で取られる。そのシステムに納得が出来ずに長い電話交渉。無駄だけど。 グラフィティの2月号原稿の見なおしをして、原稿を送った。 おそらく来年春の最大課題になる、福島調査の資料メールを書いてだした。 これで、頭の中が空っぽになってしまった。 ▲
by j-suga1
| 2011-12-20 23:04
| 日記
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2011年 12月 18日
12月も終わりに近づく。
![]() 16日、忘年会、その2 日本水中科学協会忘年会 日本潜水会時代の忘年会のありかた。 20人―30人で、席をさだめないで自由に話し合う時間があること。 ![]() 食べ物が十分にあること。 ![]() 急遽、わがままを言って無理矢理に立食パーティにしたために、心配だったが、ちょうどよかった。 お酒を飲む人と飲まない人の会費の金額を変えること、 これは意外なことに下戸の反対で否決 19時開宴 まず、挨拶など抜きにして歓談、食事が原則だったが、場所がかわり、落ち着かなくて、不安になり、吉田教授のご挨拶、主だった人のあいさつ3人ではじめた。須賀が精神的に不安定だったらめ、吉田先生の撮影をしていない。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 8時ごろから、一人一人の挨拶とお話、誰かがお話している時、私語はつつしむ。これが鉄則だから、人数が20-30になる、今回は最終的に25人だったから適正。それぞれあのお話も面白かった。これは須賀が司会のため、撮影していない。 2045に修了したので2110ごろまで再び歓談 2105ごろから石川さん司会のしめ、久保君がお手を拝借して終了 ![]() とても楽しい忘年会だった。 みなさん、ありがとうございました。 あけて17日 福島県に、 フェイスブックから転載。 ![]() 福島。北西の季節風、磐梯おろし、船の上で凍えた。潜水して、港にあがってドライスーツを脱いで、少し浸みたので裸になって着替える。震えがとまらないまま作業衣を脱ぐときに左足の太ももの筋をのばしてしまって片足を引きずることになった。 寒いことは嫌ではない。アリステア・マクリーンの凍りつく北海のシーンが好きだ。寒さに震えながら、船長に「良いお年を」と言った。来年の分まで傭船料を振り込んだと伝えた。「気を付けて帰って」、軽く手を振って、車で走り去った。こちらは、その後で道具と標本の整理がある。映像を見られるようにして、打ち合わせをする。 今回で、ようやく、測定機器が使えるようになり、測定の方法もわかってきた。 来年は14日から調査を始める。多分、水温は6-8度、気温は0度―2度だろう。 守屋博士と鈴木さんはウエットだ。ダイビングはスキルもへちまもない根性だ。と思わなければやれない。守屋さんには「潜らなくても良いよ。」と前に言ったことがある。自分の目で見て、自分で採集しなければ、意味が無い。という。お台場ぐらいまで見通したので、久しぶりにビデオを撮った。ビデオで見ると、スキルもなかなかのものだ。水平姿勢で、移動している。それにしても、1月は根性が必須。 水中 ![]() 採集整理 ![]() ![]() ▲
by j-suga1
| 2011-12-18 08:47
| 日記
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2011年 12月 14日
忘年会 その2 12月11日、銀座のクラブ「ふたごや」に行った。酒を飲まないのだから、稀なことである。「ふたごや」は、銀座で一番繁盛していると言われている会員制クラブであり、オーナーのますい志保さんはについてウィキで調べると、 ますい 志保(ますい しほ)は、東京・銀座のクラブのママ兼作家。である。こちらでさらに付け加えると、JAUSの創立会員であり、ダイバーとしても、雑誌「ダイバー」の表紙を飾っている。このダイバーが手元にないけれど、振袖の着物を着て、羽子板のかわりにフィンをもっているという写真だ。 自分のグラフィティを載せてくれているから言うわけでもない。雑誌ダイバーはするどい。志保さんのクラブに行くとダイバーを出してくれて、お客に見せている。これにより、銀座のクラブのホステスはみんなダイバーになる?かな。毎月、芸能人のダイビングを表紙にしていて、今や、芸能人・タレントでダイビングをできない奴は潜りというくらいになった?タレント・俳優と言う人種は、何かに、例えば雑誌の表紙でも、何かに顔がでることには命を賭ける。やれと言われれば何でもやる。だから、最近はフリーダイビングをやる人も増えてきた。これって、すべての人がダイビングを楽しんでいるというイメージになり、業界のためになっている。 志保さんもすごいダイバーで、パラオのペリリューの話をしたら、「あそこは200本以上潜らないと無理ね。」と軽く言う。僕の潜水の弟子でもある。ダイバーが志保さんを取材した時に、須賀の弟子であると彼女は強調してくれたらしいが、娘の潮美が構成したのでカットされた。 お店で写真を撮るつもりだったが、満艦飾で、美人が売り物の志保さんが現れると、気後れしてカメラを出せなかった。もしかして、クラブって撮影してはいけないところなのかもしれないけれど、だから写真はない。 「ふたごや」に行った理由は、バディのN先生が、なにか政治的な活動??の接待に使いたいというので、お連れした。会員制クラブだが、志保さんがJAUSの会員だから、会員資格はチャラかな。今後JAUSの会員は銀座で接待をするときには「ふたごや」を使うように。 僕がダイビングを教えたのは、子宮摘出手術をして退院した直後で、みんな大丈夫かと心配したらしい。僕が大丈夫だというから大丈夫だということにして教えた。 志保さんは、右脳、すなわち直感と、左脳すなわち文筆でものを考える才能の両方にすぐれている。そうでなければ、銀座で成功できないのだと思う。そういう人はダイビングなどでは死なない。ただ、一直線に走るから、ガイドはついてゆくのが大変だろう。「ガイドにガイドされるのなんていやだよね。」と言ったら、「そうだ、そうだ」と賛成してくれた。僕はガイドダイバーを頼むことが多いけれど、自分が連れて行ったお客の面倒を自分で見るのが面倒なので頼む。ガイドダイバーにお客をお願いして、僕はガイドダイバーを信じないでそれを監視している。これが安全なシステムだ。 お店の志保さんをみているとすごい。僕たちのとなりでダイビングの馬鹿話をしていると、フロアマネージャーにちょっと耳打ちされる。さっと立ち上がって駆け足でどこかに行く、戻ってくるとフロアの中心に立って、あっちの女の子をこっち、こっちの女の子をあっちと、船上の指揮官の様に指揮をして、風のように僕たちのところに舞い戻ってきてダイビングの話をする。カスザメに噛まれたとか、自分のしゃべりたいことだけをしゃべるのだけれど、面白い。右脳と左脳を全開にして動いている。 お酒を飲まない僕は、話すだけ話して、一時間ほどで席を立ったが、お酒を飲まなくても楽しかった。志保さんのプロとしての動きの素早さに感動した。なるほど銀座のママってそういうものなのだ。一人のインストラクターが20人ぐらいのゲストを見ている感じだ。そして、ゲスト全部を楽しませる。 お店を出てから、N先生とケーキを食べコーヒーをのんだ。1500円のケーキセットで高いと思ったら、それだけケーキが大きい。N先生は、これから日本の国は劇的に変化をする。倒れてしまうやつも沢山いるけれども、信じられないような富豪もでてくるだろう。これからは、政治家と商売人がおもしろいという。N先生はおもしろい科学者だ。これから、日本は戦国時代になるらしい。その面白いカオスの世の中から、僕は去らなくてはならない。不満そうな顔をすると、N先生は、あの戦後から石油ショック、バブルの時代の狂乱を生きてきたのだから良いじゃないですかと言う。そのとおりではある。 フェイスブックで、N先生は良い忘年会だった書いてくれていた。酒を飲まない二人で、忘年会は成立しない。志保さんがいたから忘年会になったのだと思う。 今年の忘年会、その2としよう。その1は、浦安海豚倶楽部の忘年会で12月6日、その3が16日のJAUSの忘年会、両国第一ホテル3Fの北斎の間、来たい方は、ぜひおいで下さい。ただ、ちょっと変わったスタイルの忘年会である。開会のあいさつとか乾杯とか、一切省略、20時ごろから、おいでの皆さんに一人ずつしゃべってもらう。その間は私語禁止。だって、ごちそうが並んでいるのに、挨拶で「待て」となっているのは嫌だし、自分が一生懸命しゃべっているのに、聞いてくれないのもいやだ。 その4がマンスリーセミナーの忘年会だが、いつだか忘れている。やばい。 ▲
by j-suga1
| 2011-12-14 23:08
| 日記
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