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辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2012年 06月 30日
「ダイビング・水中活動の基本用語」も最終の直しを続けているが、東北大震災の津浪被害を受けて、地震津波の項を増設し、原稿を作っているが監修のかく先生方、会員の情報、意見などが多数寄せられ、6回の大幅書き直しがあり、下記でまとまっている。
地震から津波までの時間がわからない以上、船で出ていた場合、港に戻るべきか冲出しで逃げるか、結論はでない。船乗り、漁師の意向は、冲出しであろうが、水産庁などは、冲出しを薦めていない。このあたりは今後議論を見守らなければならない。 地震と津波 2011年3・11の大震災は多くの命をうばった。これに学び、海の中、潜水中の避難対策も講じておかなくてはならない。 山下彰一会員[広島大学名誉教授]は、幼少の折、昭和21年12月21日、早朝、午前4時ごろに起こった「南海大地震とその直後に高知県を襲った津波」を体験している。「遠くの方から、「山へ逃げろー!山へ逃げろ!」と連呼する声が聞こえて来ました。海のことをよく知る漁師さんの声で、その声に導かれるように、私達仲良しのガキども数人がすぐ集まり、いつも遊んでいる裏山へ駆け上がりました。逃げ遅れた大人が一人、私の家の屋根に乗っているのが見えました。」 東北大震災の津波でもこのような体験をされた方は数知れない。とにかく、分秒をあらそって、出来るだけ高い場所に逃げることがまず優先する。 大地震被災地や東海から四国までの大地震の危険が指摘されている地域での潜水では、大地震が起こり、大津波警報が出た時の伝達手段、避難経路や避難場所を考えておく必要がある。 伝達手段として、水中にスピーカーを置き、警報を発する装置が売り出されている。多数のダイバーが潜水する場所では、設置を考慮する必要がある。オレンジ、赤などの警報信号旗を冲から目につきやすい場所に揚げることも必要である。 震度3程度の地震を海中で体験したダイバーの言によれば、大きな船が海上を通過しているような音が聞こえたという。地震を体感した場合は、直ちに浮上する。安全停 止については、ダイブコンピューターで減圧停止の指示が出ていない限り水深3mで1分程度の停止で浮上する。減圧停止の指示が出ている場合、地震を体感しても、津波が来ない場合も多く、減圧症の危険と津波の危険を勘案して判断しなければならない。あわてて、パニックにならないことがより重要である。 ボートエントリーの場合、水中にいるダイバーへの、伝達の手段を考えておかなくてはならない。作業中のダイバーに対して他船の接近を知らせる場合などについて、海上保安部は、提出する作業許可 申請書の安全対策として、鉄パイプの一端を水中にいれて、叩く方法を、書き込むことを指示している。 ビーチエントリーであっても鉄パイプを叩く音は、水中での音の伝達がよいことから、かなりの遠方でも聞き取ることができる。ただし、ダイ バーへの緊急避退信号としてのこの音を、講習中に一度聞かせて置く必要がある。これは地震、津波に限らず応用範囲の広い信号である。 ただし、水深が深く、フードをかぶっているような場合、鉄パイプの音も、水中スピーカーの音も聞き取れない場合がある。 ボートに上がってからの退避について、東北大震災では、冲出しの成功例を聞くことが多く、漁業者などは、冲出し避難を志向する人が多いが、すべてのケースで有効とは言い切れないと、水産庁では冲出しを薦めていない。沖出し避難が上手くいっても海面のガレキ等が 邪魔になり直ぐには戻れずその間の食糧・飲料水・燃料などの準備も必要である。東北大震災で、冲出しで逃れた船では地震情報を得られるラジオが、非常に役に立ったと聞く。ボートにラジオの装備は必須である。防水のスマートフォンも役に立つが、充電の手段を確保しておかなくてはならない。 海面上、あるいは船上では、陸上、岸辺とは違って、ただちに高台へ駆け上がれるわけではなく、陸上まで避難する時間を考えなければならない。情報の伝達手段を常に準備し、出来るだけ情報を集め、自船の大きさ速度を考慮し、冷静に判断しなければならない。 ▲
by j-suga1
| 2012-06-30 06:49
| ダイビング運用
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2012年 06月 28日
フェイスブックで魚に詳しい、魚の専門家なのだろう、料理評論家の宮内祥子さんがツムブリがおいしいと書いている。
僕はがんの手術をした65歳のまで、62歳から、人工魚礁の撮影に専心していた。人工魚礁のカレンダーの撮影をしていて、後に一冊にまとめて写真集にしたのだが、64歳ごろには、浮魚礁の撮影に入っていた。 広い大洋で、波に揺られている流木一本にもたくさんの魚が集まる。つまり木付木の魚である。ダイバーに人気のジンベイザメにも魚が付く、魚付きのむれである。人工的に流木を作ろうとしたものがパヤオである。パヤオは、フィリピンでの呼び名であるらしいが、日本人兵士が戦争中に食糧確保のために作ってものだともいう。要するに木を浮かべて、流れ去らないようにアンカーで留めておく。柴と束ねて浮かべて置くと柴漬けで、四国方面で、シイラ漬けともいう。集まったシイラを網で巻いてとる漁業である。 これを浮魚礁とも呼ぶ。パヤオイコール浮魚礁である。浮魚礁は、大掛かりなものもあり、沖縄の漁業は、ほとんどが浮魚礁、パヤオに依存している沖縄では、この大掛かりなパヤオを二ライ○○号とよんでいる。僕が撮影したのは主として二ライ8号だった。知念岬を廻ったところに置かれている。 ![]() 手前の光っている魚 は、ムロアジの類。少し上、紡錘型の魚がツムブリだ。大型浮魚礁を見ると、映画「2010年宇宙の旅」のステーションを思い出す。そういえば、2010年は過ぎたけれど、こんな宇宙ステーションはできていない。 ![]() ツムブリはシイラの後ろについている。この写真は前に居るシイラを撮ったものだが、光ってしまってNG。でも、シイラって本当に銀色に光る。後ろの方に影のように浮子魚礁がみえる。 ![]() 陸に揚げて整備している浮魚礁。 大型浮魚礁は、水深数百メートルもある深い海に大型のアンカーで留められていて太い鎖で繋がれている。大きな浮魚礁と言っても、広い海の上では、ほんの点でしかない。それでも多数の魚が集まる。まず、浮魚礁の近辺にはツムブリとか、ムロアジ、カンパチなどが集まる。少し外側にシイラ、そのさらに外側にカツオが、さらに外側にキハダマグロが、もっと外側にはサメが来ているという。一個の浮魚礁で、浮魚礁のコンパスで円を描く中心点として、半径1キロから2キロの範囲に、魚を集める効果が表れている。すごいものだ。浮魚礁の撮影で、僕はキハダマグロ、せめてカツオが付いているのを撮りたかった。何度も沖縄に行き、8万円の船代を払って、パヤオbに向かう。いるのはツムブリばかり、ツムブリだけは何時でも居る。僕の撮影は、沿岸漁業整備事業に関わる仕事だから、あまり市場価値の無いツムブリでは仕事にならないのだ。つまりカレンダーにも写真集にも、ツムブリは使えないということだ。 宮内さんはこんなことを書いている。 「昨日築地の尾辰さんで購入した高知県産ツムブリ!これから下処理。 初めての素材なので、いろいろ試作します!。ちょっと味見したけどアジとブリの良いとこどり?なかなか美味しい!」お刺身もおいしいという。 しかし、宮内さんは、何でも食べてみよう的なところもある。おいしいかどうかは個人差がある。食材の図鑑を見たら、1m以上の大型は油が乗って美味と書いてある。 ツムブリは、美味しいのか不味いのか、美味しいとして、漁師が取ろうとはしないのはなぜなのだろうか。 写真を探してみた。レインボウ・ラナー 虹色に光る美しい魚なのに、僕はアップを撮っていない。 、 ▲
by j-suga1
| 2012-06-28 23:22
| 日記 ログ
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2012年 06月 26日
6月24日 お台場
3月に沈設した人工浅場、なにも人工魚礁と呼んでも良いのだろうけれど、人工魚礁を水深2-3mに沈めたものだ。3月には何も見えなかった。4月、5月とメバルの稚魚が群れた。アカオビシマハゼも、そしてスジエビの類もたくさんついていた。そして、5月は赤潮で暗黒だったが、人工魚礁の下の海底ちかくには大型プランクトンがライトにぶつかってきた。赤潮の下のお台場は生き物がおおかった。 だから、6月はきっとメバルも少し大きくなっているだろうし、もういちどしっかり底のプランクトンを撮影したいとおもった。 そして、7月8月は、貧酸素、無酸素で生き物が生きられない世界になる。メバルは7月まではいないだろうが、6月は、と期待していた。 透視度は、赤潮ではないから、暗黒にはならないが悪かった。1m前後、お台場では当然の透視度である。 ![]() あてにしていた人工魚礁、メバルは皆無、全部いなくなった。メバルは大きくなれば浅場を去ってやや深いところに移動する。船の科学館の休館とともに、今は潜れなくなってしまった羊蹄丸下のポンツーンでは、やや深い5-6mのところに投石があり、メバルは、かなり大きいものがそこに居た。お台場には水深6mへの投石はないが、多分、水深6m以上に移動しているのだろう。 それにしても、アカオビシマハゼとか、スジエビまで皆無になってしまったのはなぜだろう。 人工魚礁にはユウレイボヤがびっしりと付いている。ユウレイボヤは、悪い環境にも強く、何処にでも付着している。しかし、こんなものと思っているから、丁寧に撮ったことがない。今回は真面目に撮ろうと一眼のキャノンイオスと、コンパクトでマクロに強いペンタックスW90の両方で撮って比べて見ることにした。午前中がキャノン、午後はW90を持って入った。結果はどちらもきれいには撮れなかったが、W90の方が良かった。 ![]() W90でユウレイボヤを撮る、マスクマウントのGoProで撮影 ![]() ペンタックスw90で撮ったユウレイボヤ、きれいにとれない。全体にきたなく、人工魚礁の牡蠣殻がおおわれてかくれてしまっている。エビもいなくなってのは、このためか。 ![]() マハゼ、キャノンの一眼で撮影 画面の中に6尾いるはず。 浅い、水深50cm以下のところに上がると、5cm前後のマハゼがほぼ一面に散らばっている。多いところでは、一枚のカットに6尾ぐらい入る。透視度も浅いところでは1m以上で浅いから光の通りも良くてなんとか撮影できた。トサカギンポの多い岩に行くと、予想通りトサカギンポがいたが、動きが速い。 ![]() 午後は潮が引いてしまう。潮が引くと、なぜか濁りがひどくなる。浅い、マハゼとトサカギンポは撮影できなくなった。人工魚礁のユウレイボヤと、仕方なく、お台場の海底の優先種となってしまっているトゲアメフラシを撮影した。トゲアメフラシは、今どきのダイバーに人気のあるウミウシ類に近いが、その中では不気味さのトップだろう。この類は、大きい種は不気味だ。アメフラシも、だいたい不気味だが、トゲアメフラシは異星の生物、エイリアンのようだ。今度は、顔を撮って見よう。顔があるのか、顔と言えるのかわからないがやってみよう。 ![]() やはり、人工魚礁にメバルが居なくなってしまったことで、気落ちしてしまって、それに午後、潮が引いてから、何も見えなくなり、気力が無くなった。 1月に5回分2,3,4,5,6申請していたのが、もう6月、7月からの分を申請しなければならない。あっという間に6月になってしまった。月日が飛び跳ねて過ぎて行く。残り少ない命だから、あと何回飛び跳ねられるのだろう。お台場の潜水、今度の申請で89回になる。100回をめざしていたのがあと11回だ。 ▲
by j-suga1
| 2012-06-26 07:25
| お台場
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2012年 06月 22日
フェイスブックで長い文章を書くことが多くなっている。少し膨らませればブログになる。
昨日(0622)辰巳でnaomi さんに会ったこともあって、彼女の書き込みにコメントをしている。 バハマに行ったらしく、イルカを撫でている写真が載っている。おさわりイルカ、人間に触られるのが好きな10年に一度というイルカらしい。 まだ、御蔵島でスクーバでイルカの撮影をしていた初期のころ、(小さい4リットルぐらいのタンクを背負って、スキンダイビングのようなスクーバダイビングをやっていた。肺の圧外傷が心配。でももっと小さい、口にくわえるだけのスクーバも、その少し前にはうりだされていた。とにかく、プロのカメラマンのレベルでは、肺破裂など考えている奴はいなかった。スキンダイビングで潜る女の子をスクーバで撮るなんて普通だったから。)僕はイルカにさわりまくっていた。その後、スクーバ禁止とともに、イルカに手を出してはいけなくなった。触られるのが嫌なイルカはほご絶対にさわらせない。嫌がらなければ手をのばしても良いじゃない?と思っていた。研究者的には本来の姿ではないというけれど、本来って何なのだ。利島に行ったり、秋の浜に現われたりするのは本来だったのだろうか。富戸と、川名がイルカの殺戮場だったのが本来ではなかったことだけはたしか。その写真持っていういるけれど、出しません。 ところで御蔵でもさわって良いと言うことだったら、10年にいちどくらいは触られるのが大好きで寄ってくるイルカも居たかもしれない。ちなみにスクーバ禁止は正解だったと思う。一般のダイバーがスクーバでイルカと遊んだら、事故続出だった? 昨夜の辰巳、GoProのトラブル続出だった。2台持って行った1台は、カバンのなかにスイッチが入ったまま入れていたらしく、バッテリーが残りわずか。もう一台は水没。 残りわずかなバッテリーで撮った画像。これをフェイスブックに載せた。 ![]() 本当は広い絵が欲しかったのだが、左上に邪魔な人がいる。夜の21-22な人が少ないので撮影が好きなようにできるのだが、このごろは、来てくれる人が多くなり、[ありがたいことですが]撮影に苦労するようになった。21-22をもっと増やそう。 ![]() 左上の余分な人影はモデルをしてくれているmatida 君の上司?で、僕の弟子、スキンダイビングの練習中だから、仕方がない。カメラトラブルが無ければ、計算通りの絵が撮れたのだが、これでバッテリーアウト。Matida 君の泳ぎは素直で、とっても良い。スクリーンセイバーにしていることがブログでわかり、もっといい画像にしようと、水着を着てきてくれたのに、「カメラトラブルで残念だったね。」と言ったら残念でしたと答えてくれた。次を考えよう。 水没について、naomiさんが「猿も木から落ちる」と、僕を猿にしてフェイスブックに書き込んでくれた。水没させたGoProは、一日分の日当か、海女さんの何時間分なのか、プールサイドで、盛り上がった会話をした。Naomi(海女、蛸姫)は時給3万円になるらしいけど、一日に1時間しか潜れなければ、日給だし、1週間に1時間ならば週給だ。好きな時間にいつでも漁ができて、時給3万ならば、御殿が建つ。「海女で倉を立てた人は居ない」という言葉がある。みんなが倉を立てたら、アワビは絶滅する。 一方、オーストラリアのアワビ採り漁師は、本当に時給3万で、毎日獲れる。資源保護のために、年収1500万ぐらいにしているようだけど、御殿に住み、クルーザーで遊んでいる。 そう、トラブルのためにnomi さんも、来ていたのに、撮れなくて残念。 Naomi さんは水没は、予期せぬ出来事と書いてくれたけれど、 僕の水没は当然、日常の出来事、ハウジングは水没するものこれまで水没させたカメラは、数えきれない。特にニコノスⅢからⅤまでは10台以上、水没させた。キャノンもニコンも水没させた。大型の放送規格ビデオカメラも浸水は日常だったが、ハウジングが大きいから、カメラまで水が来ない。とにかく予期する出来事である。 なぜと言えば、裏蓋のオーリングの使い方が、オーリング本来の円筒シールではなくて、パッキンのような圧着だからだ。注意深くしていないと水没する。僕の場合、カメラにほとんど注意を集中しない。撮る対象、そして、一緒に潜るひとの安全に集中している。辰巳でも、同じことで全体に目をくばっている。カメラは大変だけどお金で解決できる。人の事故は取り返しがつかない。さっそく、GoPro2を27800円でオーダーした。 27800円の出来事であり、しかも水没の理由がわかったから、良い。 水没についての理由、コメントは書かない。要するに不注意だが、知りたい人は、27800円の月謝を払ってください。ヒント、何だばかばかしい、という不注意です。 ▲
by j-suga1
| 2012-06-22 11:04
| 撮影
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2012年 06月 20日
一昨日だったか、インストラクターとはプロなのか、プロであるべきかということを、フェイスブックを書いては消してしまった。
それはそれとして、プロとはなにか、僕の考えでは、抽象的な概念と具体的な概念がある。抽象的には、そのことに命をかける、それをやめたら生きてはいけないなどということだ。これはスポーツ社会学で、筑波大学の佐伯教授の講義で聞いたことであり、なるほどと思ったが、一般には通用していない。具体的には、それで生活する、お金をもらう。利益を追求するということだ。これは社会全般に通用する。僕は、80歳まで、抽象的にも具体的にもプロのダイバーでありたいと願っている。みんなによく言う、お金にならなくては足の裏は濡らさない。残念ながらもらえるお金は年々少なくなるが、それでも最大限もらおうとする。一緒に潜りに行きませんかとよく誘われる。きっと割り勘だと思って誘っていただいているのだと思う。今は日本水中科学協会の営業の意味もあるから、割り勘でも、会員とは一緒に潜水することもある。しかし、それでは生活できないから、必ず何かの形で回収する。その論理で考えれば、プロのインストラクターとは、それで生活を立てているダイバーだ。もちろん、プロではないインストラクターもいる。海洋高校の教諭がダイビングのインストラクターになり、指導する。これは、微妙だけどプロではないだろう。自分の趣味でサークルをやっている人、これはプロではない。歴史的には、こういうクラブの形でスクーバダイビングがはじまったのだから、プロではないから指導してはいけないということはない。しかし、プロは自分のテリトリーを荒らされれば、良い気持ちはしないし、場合によっては潰れる。全日本潜水連盟がダイビングの道具を売るようになり、僕のダイビングショップであったU3は、看板を下ろさざるを得なくなった。やっていてもネット売りには勝てないから、器材の販売では生きて行けなかっただろうが。とにかく、給料が払えなくなった。 昨年のプライマリー研修会、東大の学生が多かった回 ![]() 6500の模型で記念撮影 ![]() 今日、東大の海洋調査探検部のY君からメールがきた。彼女はこの前お台場のクリーンアップで僕のバディをやってくれたワイルドな美人である。ワイルドなあまり、自分の美人を否定しているらしいけど。その彼女が音頭をとって、今度の23日の無料公開講座に探検部の主要メンバーが来てくれる。昨年が4人だから、やがて全員が来てくれることになるだろう。その彼女がPADIのインストラクターになりたいと言う。久保君が講師だから、頼めばと思ったらしい。だが、少し考えて、それはダメと結論した。僕たちは、彼女たち、及び同様な研究者、学生のダイビングを対象にして、ここまでVカードを立ち上げてきた。参加するためのCカードは、もちろんPADIでも全日本潜水連盟でも、NAUIでもなんでも良い。まず、Vカードをとってもらう。そして、上級生にはこの研修会に通ってもらって、Vカードのコーチになってもらう。その上でならば、PADIでもどこでも好きなところで、お金が間に合う範囲でインストラクターになっても良い。 PADIのプログラムは大変に魅力的だが、その良いところは、久保講師から吸収できる。全日本潜水連盟のコースディレクターたちが現在のコーチだから、その良いところも学べる。そして、既成指導団体のインストラクターになるよりも、これが東大のリサーチダイビングであり、サイエンス・ダイビングだというものを創り出してほしい。Cカードのインストラクターは、小久保教授が監督なのだから、彼を取り換えたら困る。もしかしたら、教授になったから、忙しくもなるし、もしも事故の場合の責任をとらせて、教授の地位に影響があったら困ると、周囲の人が心配したのかもしれない。彼は抽象的な意味ではプロのダイバーだから、博士コースの学生がVカードのコーチになって責任を分担してくれればいい。それが僕の夢でもある。なにしろ、探検部とは30年以上の付き合いで、最初のころの学生が何人か、教授になっている。安全で、そしてもしものことがあっても、責任の追及ができないような形でのもしもであるシステムをつくり上げることに全力を尽くそう。 彼女はその通りでした。自分のために頑張りますと言ってくれたが、秋までは忙しいから横須賀には来られない。なんだ、それでインストラクターになれると思ったのか、と聞いたが、彼ら、彼女のために冬もプールセッションを続けよう。来春には、誰かがコーチになるように。 話を脱線からもとにもどして、インストラクターとはいろいろな人がいるし、いろいろなパターンがある。その中で、プロは利益を追求しなければならない。利益追求が最高度に達成されるべく、プロのレクリェーショナル・ダイビングインストラクターを多数抱える団体は努力をしなければならない。その努力が成功したから、PADIがマーケットシェアをとった。ただ、どうも、インストラクターがレクリェーショナル・ダイビングの終末目標であるような現今の形は、どうかなとも思う。しかし、1万人のアマチュアインストラクターが、3人ずつのCカードを発行すれば、30000枚だし、3人ずつ指導するインストラクターも、多数指導するインストラクターと同じ保険料、会費を払うとすれば、指導団体としては悪くはない。どころか不景気を前にして最高かもしれない。ダイビングリゾートもその方向に流れている。しかし、そのインストラクターを目指すダイバーが自分のショップのお客であるとすれば、蛸が自分の足を食べているように見えなくはない。しかし、それでもあえて、という計算が成立しているとすれば、きっと計算していると思うが、外からとやかく言うことではない。しかし、自分の周りの人が巻き込まれないように守りたいとは思う。 ▲
by j-suga1
| 2012-06-20 23:21
| 日本水中科学協会
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2012年 06月 18日
水中科学協会の総会を開きました。
設立総会を第一回と数えれば、第三回、何年目かということになれば第二回の総会です。 僕は2年目の総括だとおもっていました。 この前の総会は船の科学館で広いアドミラルホールでしたから、いろいろな催し物を考えました。書籍の即売とか、機材の即売、講演もダイブコンピューターの話をタバタの今村さんにしていただきました。 今年は、催し物をする時間もなく、本当の会員だけの集まりにしようと考えました。 海洋大学の高埼記念会議室が、25名定員でしたので、25名程度来てくれるだろう、多くなったら補助席を入れれば40人は大丈夫と考えましたら、全部で30席ぐらいでおさまり、ゆったりした会議ができました。 ![]() 総会ですから、成果と決算、そして来季の予定と予算を議決してもらいます。委任状が多数あつまりましたから、会議は成立して、 1 事業の成果 ①ダイバーの技術・知識・経験についての認定と認定書発行事業 今年度は財団法人倶進会の助成金をいてだき、平成22年12月に船の科学館でシンポジウムで発表されたプライマリーコースの研修、講習を海洋研究開発機構の訓練プールを使用させていただき、久保副代表理事の指導のもとに、開始して下記の成果をおさめた。コースの確立、すなわち指導方法の研修とコーチの養成が主たる目標でもあり、予測通りの成果を収めることができた。 今、日本で行われているダイビングの講習会で最も優れたプログラムだと、自信を持っていうことができます。実技は僕もできませんし、インストラクター歴20年、30年という方が参加して、昨日Cカードを取ったばかりの初心者ダイバーと一緒に練習します。PADIもNAUIもありません。是非きてください。 http://join.jaus.jp/primary/ 申込みは左記から、別に会員にならなくても受講はできます。 ![]() ②ダイバーの活動基準とマニュアルの研究と制定事業 活動基準とマニュアルの普及拡大のために、、成文堂書店から、水中活動用語集を出版するため、会員諸兄の協力のもとに、作業を進めた。当初、23年度12月に発売、同時にシンポジュウムの開催を予定していたが、3月11日震災の影響もあり、また、近年の潜水技術の変革、進歩に対応することもあり、完璧を期するため今年度7月中旬に完全に脱稿し、10-11月に発売、それに合わせて12月にシンポジウムを開催する。 ★ 判型・体裁等 B5判 288P(カラー16ページ)定価、5680円(5%税込)1000部 写真、図、241点 発行部数1000部のうち、日本水中科学協会関連で300部をの販売先確保を引き受けます。このことは、4月に行われました理事会で了承をいただいています。 出版記念パーティ、及び12月に行われますシンポジウムで、会費7000円程度として、本を一冊さしあげる形で、150部を、会員の関連で150部、合計300部の販売を見込んでいます。 なお、ご協力いただきました今年度の正会員の氏名を巻末の奥付に列記させていただきます。 ③水中で行われる学術研究、文化、芸術、スポーツに関する研究会の開催事業 ★吉田理事企画でマンスリーセミナーを10回行い下記の成果を収めた。 ⑧環境の保全を図る活動 ★東京港水中生物研究会の活動については前年度に引き続き、毎月最終日曜日に撮影調査活動を行っている。 ④ダイビング活動を行う個人、団体への協力事業 事業予定として発表した水中での放射線測定については、アロカのシンチレーションカウンターを購入し、後藤道夫理事の協力をいただいて、水中ハウジングを製作し、千葉県館山市でテストを行い。引き続いて理化学研究所の調査(守屋会員の研究)に協力し、23年10月より、24年2月まで福島県いわき市久ノ浜港周辺での測定とサンプリングを行った。成果については現在守屋会員が分析中である。 引き続いて3月よりは、東京大学の鯉渕准教授に協力して、東京内湾の測定とサンプリングを開始している。 ⑦災害救援活動 宮城県鮫浦湾でのフーカー潜水器を使用しての沿岸漁業への協力について助成金申請、山川先生の仲介で、気仙沼向洋高校へ、会員山本進氏よりボートを寄贈いただき潜水指導などを計画したが、助成金は、直接的な支援ではないと理解をえることが出来ず、落選し、気仙沼向洋高校もそのような活動を行う余裕がないとうことで実施に至らなかった。 とにかく、水中科学協会がどこを目指しているのか、を示し、理解してもらうことができました。 そして、この一年、とても大変だったけれど、僕も、参加したメンバーもみんな楽しく協力して活動することができました。争いとか楽しくないとかいうことは徹底的に嫌いです。楽しくない方は会員にならなくてもよいとおもっていますが、地方在住の方に、来ていただかなければ、何もして差し上げられない。そのことが、頭痛の種です。 楽しく、上記のような活動に参加してくださる方、ぜひ会員になってください。連帯する楽しさを分けあいたい方、 http://join.jaus.jp/ で申し込みできます。 ▲
by j-suga1
| 2012-06-18 17:02
| 日本水中科学協会
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2012年 06月 17日
これからしばらく毎回ではないのですが、潜水士のことを書きたいと思っています。
まずは僕と潜水士の付き合い、かかわりについて、から。 ![]() 僕の潜水士の免許証です。はっきりと免許証です。良くわかりませんが、免許証と呼べるものは、国が定めた資格だと聞きます。これがなければ、潜水して仕事をしてはいけないのです。労働安全衛生法、労働の法律で決められたものですから、労働しなければ必要ないのですが、世の中、ほとんどのことが労働です。特にプロフェッショナルは労働です。労働案是衛生法とは、労働者を守るものなのですが、どうしても労働者を取り締まる法律のような気がしてならないのです。保険もそうなのです。支払ってもらう時は良いのですが、払う時にはむしりとられるような気分になります。偉そうな、かなり過激なことを書くつもりですから、この問題については、偉そうにおもわれないように、ですます調で書きます。 僕の免許証、昭和37年(1962)3月20日で71番です。交付は神奈川県になっています。神奈川県が全国で初の試験であり、小田原まで受けに行きました。残念ながら、その時の免許は失くしてしまって昭和55年に再交付をうけています。だから、写真の顔は、昭和55年で、少し角ばった丸い顔になっています。 みなさんの潜水士番号は何番でしょうか。別に古いことを威張るわけではないのですが、100番以内で生きている人は何人いるでしょうか。生きているだけではなくて潜っているのです。意外に、おれは一桁だなどと言う人が出てくるかもしれませんが。 僕と潜水士のかかわりは、実はもっと前に溯れるのです。昭和34年に大学を出て、東亜潜水機という会社に入りました。そのころのことは、月刊ダイバーのニッポン潜水グラフィティに書きます。潜水士のことも少し書くつもりです。ブログの方は下書きという感じです。ブログは出来事を、その日その時の気持ちになって書くことにしていますし、娘の潮美が構成しています。ブログの方は、あくまでも現在、77歳の視点です。 東亜潜水機入社二年目の僕は、会社の研究的なことも一手にひきうけていました。社長から、かなり分厚いプリントのようなものを渡されて、今度始まる潜水士の教科書の原稿であり、適切であるかどうか、意見があればと訊ねられているので回答するようにと言われました。僕は勇躍してこれに取り組みました。まだ若かったのです。 いくつかの間違いと思えるところを指摘しました。不合理に思える部分も指摘しました。誤字脱字も幾つかみつけました。一週間ぐらいかかったと思います。仕上げて、この潜水士のプロジェクトの業界側のまとめ役だった旭潜研(旭式軽便マスクを作っている会社)の佐藤社長に送りました。 やがて潜水士テキストが出来てきて、僕の手元にも、社長が手渡してくれました。僕の指摘などは完全に無視されていて、誤字脱字もそのままでした。つまり読んでくれなかったのでしょう。業界的に言えば、旭潜研は、東亜潜水機の競争会社です。義理で意見を聞いてきたのだと思います。残念ながら、その時の版のテキストは紛失してしまい手元にありません。手元にあるのは昭和48年版(1973)です。かなり改訂されてはいますが、それでもほとんどの部分が最初のままです。見ると、かなり旭潜研に有利なようなテキストです。それはともかくとして、というかそのことも含めて貴重な資料だと思っています。そしてまた、それから40年、1962年からならば50年の月日が経っていますが、まだ、そのままの部分が残っています。 ![]() 「スキューバの一種、アクアラング」 と書いてありますが、実は、これが言葉の意味で正解でしょう。 左ページの絵は、旭潜研のマスクで呼吸袋がついています。 ![]() そのころのアクアラング ハーネスという言葉がぴったりのハーネスが付いています。 ハーネスとは、馬に鞍をつけるベルトのことです。 昭和37年(1962)、社長から潜水士の試験を受講するようにと指示されました。当然と言えば当然です。そして、実技試験もあるものだと思いました。僕はスクーバのダイバーです。当時の潜水士受講対象の多くはヘルメットダイバーですから、ヘルメットで実技試験をされたら、受かる見通しはありません。軽便マスクならばなんとかなるでしょう。大学の潜水実習でも軽便マスクは体験しています。幸か不幸か、実技試験はないといいます。そのころの時点で、まだ僕はこのプロジェクトからは蚊帳の外ですから、どのようにして、この実技試験なしということが決定されたのかわかりません。多分賛否両論があり大変だったとおもわれます。大英断だったと思います。そして、実技試験をなしにしなければ、この免許制度は作れなかったとも思います。この制度が必要だったか否か、これは、議論がわかれるところですが、人は自分の権益をつくるために試験制度を作ります。そして、潜水では安全のためという錦の御旗があります。僕がやがて創り出す日本潜水会の指導員制度も、そして、最大に成功しているバディでも同様です。潜水は危険な業務、危険な労働であるから、資格は必要、労働を司る労働省(現厚労省)がそれをいち早く作った。だいたい省庁というものは、資格、免許で稼いでいます。規制緩和などと言いますが、これは省庁の権益を民間、つまり自分たちの手にしようとする動きであり、すべての人は、位階、資格を巡って闘争を繰り返します。 とにかく資格をつくることありき、ですから、無理となれば実技試験などネグってしまいます。このことを、とやかく言う人、後に述べますが、あれから50年たった現在でも蒸し返されています。が、実技試験が無かったことが、日本の潜水の歴史のすべてです。歴史にイフはないのですが、もしも実技試験があったならば、現在のPADIやNAUIは日本で今の姿であったかどうか、もしも、実技試験をするとすれば、委託にならざるを得ないでしょうから、旭潜研の佐藤さんは、日本潜水科学協会、後の海中開発技術協会の中心人物ですから、委託はこの協会だったでしょう。僕も潜水科学協会の学生会員第一号です。そして、この委託をうけることも大変な権益ですから、決して手放すことはなく、成長させて行くでしょう。このイフを考えると大変ですから、このへんで次にうつります。とにかく潜水業界の地図はまるでちがっていたことは確かです。 ▲
by j-suga1
| 2012-06-17 08:11
| ダイビング運用
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2012年 06月 15日
月刊ダイバー8月号のニッポン潜水グラフィティに、大学4年の時に潜水で死にかけたことを書きました。実は、この潜水が僕の潜水の原点だったと今も思っています。詳しくは、月刊ダイバーを買って読んでいただきたいのですが、ここでは月刊ダイバーには書けなかったことを書きます。
それは、安全についてです。もちろん死にかけた時も安全について考えましたが、その時に考えた安全とそれからあと、安全についてはくるくると変わります。今でもかわりつつあります。しかし、いくら変わってもその原点は、あの潜水にある。あったと思っています。 ![]() 死にかけた、あるいは死んでしまったできごとを振り返ると、いくつかの分岐点があります。まず、潜水などしなければ死ななかった。もっと前に遡ると、僕の場合は水産大学に入れなければよかった。もっと遡れば、海がすきにならなければよかった。その潜水に近づくと、その潜水の中でもいくつかの分岐点があります。あの時、潜水を中止して浮上すればよかった。とか、あそこで引き返さば良かったという分岐点です。そして、生き残って見れば、あれが、あの時こうなっていなかったならば死んでいた。ラッキーだったと言う生への分岐点があります。死の分岐点から生への分岐点にかわる、それがクリティカルポイント、で、それを越えて生き残ればラッキー、だから、その点での死亡の可能性は50%ぐらい、それから先はどんどん死ぬ%が増えてきて。僕の場合は多分、生き残り率30%ぐらい、70%は死んだということだったと思います。 そして、それ以来、55年ですが、常にその分岐点のこと、生き残り率のことを考えて潜水しています。その後で東亜潜水機という会社に入ってから、1963年に空気で100mの潜水をやりますが、その時の生き残り率は90%ぐらいだったとおもいます。つまり10人に一人は死ぬのです。65歳の時に癌の手術をしましたが、先生に言われました、90%は大丈夫です。そうか100m潜水とおなじだな。ちなみに、60歳の時にヘリウム酸素で103mに潜りましたが、その時の安全度は99.99%ぐらいは大丈夫だとおもっていました。今、一般のレクリェーションダイバーが生きる確率は、どのくらいでしょうか、多分99.995%ぐらいでしょう。0.005%ぐらいは死ぬのです。その0.005を0.002とか0.001にするとかが、ダイビング界全体の動きだとおもいますが、それは、ほぼ絶対にしなないダイバーも含めての確立ですから、ダイビング習いたての人は、もしかしたら、僕の大学4年の時の潜水のように70%は死ぬところを生き残ったラッキーな人なのかもしれません。 ここまであえて事故という言葉を使いませんでした。人は死ぬに決まっているのです。ダイバーとして水の中で生涯を送れば、水の中で死んで当然、できれば水の中で死にたいとおもいます。それは事故ではないのでしょう。事故なのか単なる死なのかの線引きも難しいでしょう。さきほど述べた60歳の100m潜水で、僕は99,99%大丈夫と考えていましたが、医学的な潜水計画をアレンジしてくれた友人の後藤與四之先生(後輩ですが医者ですから先生)は、僕がその時死んでも何もおかしくない。つまり自然だ。事故ではないと言うことでした。また別の海上自衛隊の先生は、須賀さんが絶壁の縁に立っているのが見えると言いました。多分先生たちは20%ぐらいの死を見ていたのだとおもいます。僕は0.01%ぐらいと踏んでいました。 少し前に医科歯科大の真野先生に、なぜ僕は減圧症にもならず、死にもしないのでしょうかと質問したことがありました。僕のバランス感覚が良いから死ななかったとほめてくれましたが、確かに分岐点を見極めようとは毎度の潜水でおもっています。 僕の感覚では、70%の生存30%の死をなんとか考えて98%ぐらいの生存にしていると思います。 昔、今は亡き鶴町君が僕の会社に入る時、潜水なんてロシアルーレットで、100発に1発ぐらいの拳銃を頭に向けて引き金を引いているようなものだと話しました。彼はそれが気に入って僕のところに入社したのだとあとで聞きました。 所詮、人間必ず死にます。その時に事故だと判定されないような死に方をしてもらわなければならない。残念ながらレクリェーショナル・ダイビングには、その基準がないのです。全部が事故であり、賠償責任保険で解決します。そして、初心者やCカードダイバーの安全率は、僕の眼からは99%ぐらいの安全に見えます。僕が99%だと決めつけて、いや、自分は99.99%だと言い切れるようなうそつきはいないと思うのです。みんな、明日は我が身と思っているはずです。我が身ではないパーフェクトだと言い切れるような思い上がったダイバーとは、付き合いたくないと思いますが、そんなことを言ったら誰も遊んでくれる人はいなくなってしまうかもしれません。 ▲
by j-suga1
| 2012-06-15 22:58
| ダイビング運用
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2012年 06月 13日
スクリーンセーバーに今の自分の気に入っている画像のスライドショーをしている。
あくまで現時点だから、すぐに入れ替えている 別に順位をつけているわけではなくて、適当に並べたものだ。 ![]() きれいな波紋とタイルの線が好きだ。モデルは、専門学校生の町田君。 ![]() 浮揚感が好き。モデルはmayuさん。いつも辰巳に来てくれる。フラダンサーで、猫合体党会員、そして日本水中科学協会会員 ![]() モデルは寺内さん。この画像を自分のフェイスブックのカバーに使ってくれている。一直線の感じが好きだ。タイトルは建築潜水競泳女子 ![]() 浮き魚礁、黒潮牧場13号。黒潮のさなか。3.5ノット、僕が65歳の時、命をかけた潜水はいくつもやったけど、そのうちの最後。以後、命がけはやっていない。そのうちにまた、と思っている。 ![]() トラック・チュークの君島環礁、水深300m以上のドロップオフ。今後、何度でも行きたいけど。 ![]() トラック沈船のソフトコーラルは、世界一、夜潜らなければポリプが満開にならない。 ![]() トラックは夕景が美しい。その中で一番好きなスナップ トラック島の沈船を全部、一緒に潜った吉村が亡くなってしまった。その追悼でトラックの写真を多くスライドに入れている。 ![]() なぜかセグロチョウチョウウオが好き。蝶々と言えば夜の顔だ。 ![]() マトウダイ 面構えが良い。そして美しい。館山のベスト。 ![]() 再び辰巳で、海女さんになっているnaomi さん、素晴らしいダイバーだから、何枚も好きな画像があるが、この絵は、凛々しい感じが良い。 ![]() 息子のような小久保君が東大教授になった。ついでに、彼女と・・・・ 水の色が三色になっていて、その上のライトというアングルを考えた。 ![]() 娘の絵も一枚ぐらい。もちろん、はるか昔だ。 並べてみるとGoPro が多い。今撮っていることと、そして、基本的にワイド、ロングが好き。マクロは自分の気持ちを表現するには不適、もちろん、驚きの気持ちは出せるけど、サイズ、そしてアングルによる光と影が目下の僕の撮影の目標。 お台場も良いショットがあるのだが、スクリーンセーバーには入っていない。少しづつ入れ替えるので、半分ぐらい入れ替わったらまたブログ発表をしたい。 ▲
by j-suga1
| 2012-06-13 15:25
| 撮影
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2012年 06月 11日
忙しく、気持ちの上で追い込まれている。フェイスブックに書いたことを、補足してつなげる。つまりフェイスブックを下書きに書きつなげて行く。
6月9日 今年のお台場クリンアップ、17回を重ねている。第一回は、海上保安部との協力で始めたものだから、保安部の環境週間に合わせた。学生のダイビングクラブが、新入生合宿にでかけるところが多いこの時期になっているのはそのためだ。それでも、元気よく、関東学生潜水連盟の子たち、が11名参加してくれた。 雨天決行、台風考慮というのが主義だから、今年は雨、もちろん決行だが、屋根もなく、着替えの場所もないお台場だ。ウインドサーフィンのためには艇庫もあり、シャワーもあるのだが、閑古鳥が鳴いている。こちらにまわしてもらおうというのが、この行事の目標の一つである。目標だけど実現は難しく、女の子は公衆トイレで着替える。そんな状況で来てもらうのだから、来てくれる人を大事にしたい。 保安部とのかかわりも、山あり谷ありだったが、今年は最大限の協力をしていただいた。第一回目のときに若手保安官だった杉山さんが、長(何の長かわすれた)になり仕切ってくれたおかげだと思っている。 体操も保安官が号令をかけてくれたし、マスコットも愛嬌をふりまいてくれた。 ![]() さて、僕は世話役(恰好をつけて、企画だとかプロデューサーだとか名乗っているが、そのことが、お役所である財団には気に入らないらしいので、世話役で良い)だが、ダイバーは水に入ってこそだ。いつのころからか、一緒に潜っている。 東大探検部は、合宿で来られなかったが、最上級生、博士コース7年生?の井上志保里が来てくれたので、バディで潜ることにした。 僕のテーマというか試みは、マスクマウントのGoProが、濁ったお台場のなかでどのような働きをするかの確認である。先日のお台場は、赤潮で暗黒だった。さほどでもない。少しは見える。透視度1・5mぐらい。みんなが入ってから後に続くと、泥を舞い上げて何も見えなくなるから、先行した。 捨てられたポリタンクがあり、びっしりアカニシの卵が付いている。せっかくアカニシの産卵場になっているから、そのままにしておこうかと、一瞬迷ったが、だれかが引き上げる。それに今日は、ゴミヒロイの専門集団である、海をつくる会も参加してくれている。彼らが見逃すはずがない。引き上げることにした。 ![]() くっついていたトゲアメフラシも持ち上げるときに飛ばされた。 ![]() とりあえず、この獲物を持って上がることにした。 テレビの取材が待ち構えている。テレビに写されたくはないが、おかしなもので、たとえごみであっても、大きな獲物だとうれしい。 ![]() 井上君は美人なのだが、ワイルドな女で、美人をしていない。そこが気に入ってもいるのだが、先ごろ、専門のソフトコーラルの記事で月刊ダイバーに紹介されたとき、鬼みたいな写真が載っていた。月間ダイバーに、もっときれいに見える写真にしろとクレームをいれた。ダイバーは申し訳ありませんと答えた来たが、本人はあの写真が気に入っていて、自分で選んだのです。ということだ、。美的センスがずれていることだけは、まちがいない。 ![]() 彼女の所属する東京大学海洋探検部は、K教授が監督であり、僕とは、井上君の教室の茅根教授が一年生の時から指導している。30年以上のつきあいだ。探検部にGoProのヘッドマウントを使わせたいと、井上にファイルを送ったらよく撮れているとおどろいて、採用について相談にくることになった。どうせ、プライマリーに来るから、その時に相談しよう。 さて、その翌日6月10日が追浜の海洋研究開発機構、訓練プールでのプライマリーコース、プールセッションだ。 トレーニングの場、研修の場、楽しく遊ぶ場がミックスしている。自分にとっては、トレーニングの場であり、トレーニングのフォームを撮るという撮影の場 でもあもある。まず、コーチをたくさん育てなければ、ブレイクしない。コーチと言っても今はベテラン、10年以上の経験のあるインストラクターばかりだが、今受講している若い人たちが、コーチになる時、この研修も、Vカードも世に出るだろう。それまで、大事なことはチームワーク、そして楽しいことだ。 ![]() 僕自身については、ス ムースにフロッグキックが進まないわけ、左足首が柔らかく曲がらないからだと判明、右ひざとか左足首とか体のパーツが壊れてくるが、部品交換ができない。 トレーニングを続けるしかない。皆様もよろしければおいでください。詳細と申込みはhttp://jaus.jp/ です。 用語集のための撮影も兼ねて、世界で一番売れているROV、ビデオレイ(エ イ)をプールで泳がせてくれて、みんなで遊び、撮影した。 後ろで撮影しているのは、ロボット?の専門家であり芝浦工大ダイビングクラブの顧問、足立先生 ![]() ![]() この大きさで、152mまで潜降できて、速さが4ノット、リサーチダイビングだけでなく、レクリェーショナル・ダイビングにも使える。パンフレットには、ダイバーとの共同作業の例がいくつも載っている。テクニカルダイビング、浅いところでの遊びもある。 ![]() ![]() 夢を追っていると楽しい。今ここにある放射能から気持ちが離れてしまう。ダイバー、人間は夢を追うことで生きていられる。生きていす。しかし、そうばかりはしていられない。戦いの場にもどらなくては、その戦いの場であっても、ダイビングしていることが、楽しい。線量計をもって、放射能の泥の上を、這いまわっていても楽しい。そのことまでは否定しなくていいだろう。 ▲
by j-suga1
| 2012-06-11 16:10
| 日記 ログ
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