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2014年 04月 29日
コラム全部を書き終えた。そして本文の見直しをした。本文は冒険ノンフィクションとして面白いのだが、章の間にコラムを置くと、流れをせき止めてしまう。それでも、何とか並べた。しかし、完璧には納得できていない。そういうものだと割り切るしかないのかもしれない。ある程度は書き直さなくては、一番の問題は、このところ、思い悩んで書き直しを続けている冒険・探検、そして潜水だ。どこにも置くところがない。あとがき的に、一番最後においてみた。これしかない。
本文を読み直してみたら、その中に、終わりの章に答えがあった。 「僕は’56年にダイビングを始めて以来、夢と冒険を追ってきた。人間が生きられない水中に潜り、全能力を挙げて危険を回避し、自分のやろうとしていたことを達成して生きて戻ってくる。このことがすなわち冒険である。ここまで述べてきた僕のすべての潜水が冒険であり、そのうちのいくつかは生きるか死ぬかの瀬戸際の危険であっただろう。「あ、危ない」と頭の中で感じたことは数知れない。夢と冒険を追うということは、同時に安全を追い求めることでもある。’67年に「日本潜水会」を発足させたのは、1人では安全は達成できない、皆で助け合おうということだった。水中スポーツ大会(フリッパー競技会)は、危険を避ける能力を競う大会であった。泳ぐ能力が生死を分ける。泳ぐ能力に応じて行動半径を決めることが安全につながると考えたからだ。スガマリンメカニックでの調査潜水もつねに危険と真正面から向き合っていた。入社したいと訪れた若者に「ダイビングはロシアンルーレット」などと脅かしてきたのも、危険回避のための人選だった。だが、安全を追求してきたつもりの僕を打ちのめす出来事が起きた。」 これが最後の24章だ。 結局のところ、安全について、探検について、危険について、調べて引用しても、それは自分の意見、考え方ではない。植村さんは、自分の登山から自分の冒険を定義した。「死を覚悟して、そして生きてもどってくること」彼は戻ってこなかった。 僕の答えを探そう。冒険とは、潜水のことだ。探検とは、これも潜水の事に他ならない。 これがファイナル。 「冒険と探検そして潜水 人間には鰓がない。水中では呼吸をつづけられない。海水浴も、スノーケリングも、潜水も常に危険。昔の人は、「板子一枚下は地獄」と言った。板子一枚下は冒険である。冒険とは生きて還ってくる、安全の追求でもある。 水の中に潜水すると、それはいつも未知の世界。これで、100回以上潜っている、あの濁ったお台場の潜水でも、潜るたびに発見がある。僕にとって、そしてすべてのダイバーにとって、探検とは潜水の事、冒険とは潜水の事。山登りの人とか、極地へ行く人にはまた別の結論があるにちがいない。 そして、ダイビングの事故は、想定外、つまり冒険として身構えていない隙に起こることが多い。常に冒険だと思って恐れ準備をしなければならない。でも、冒険だからパーフェクトはありえない。」 336字 これで、冒険についての、グラフィティメイキングは、決まりとしよう。 「冒険とは、危険の存在する領域に分け入って、そして生還すること。探検とは未知の領域に分け入り、その未知を調べること。」「水中は、水中であるから危険、そして、何時でもどこでも未知を見つける。 ![]() 60歳の100m潜水の時の社員、これに中川、鶴町、米田、塩脇 横澤が加わると全員になる。そして、亡くなった脇水輝之を加えて16名、15名以上にはしないつもりだったから、MAXだ。あれから、19年、3名がそれぞれ癌で命を失くした。80歳の80mはどうなるだろう。冒険であり、高齢と言う未知の世界の探検でもある。 ▲
by j-suga1
| 2014-04-29 11:58
| グラフィティ
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2014年 04月 28日
ダイバーそれぞれが、いつでも毎日のように潜れるのが、ダイバーとしてのホームグラウンドです。お台場は江戸っ子である僕の海です。濁っていることは、別に仕方がありません。季節の変化です。夏には無酸素とか青潮で斃死します。それを防ぐことは、お台場だけの問題ではなくて、東京湾全体、日本の海全体、世界の海の自然でもあるのです。だから、お台場はリトマス試験紙のようなもので、毎月お台場に潜りそれを20年も続ければ、ここに潜っただけで、世界の海の状況がわかります。それはダイバーにとって、沖縄でも、フィリピンでも同じでしょう。しかし、お台場は本当にドラスティックに季節変化します。僕は、トレーニングなどと称して遊んでいますが、風呂田先生たちは、学術的なデーターを追っています。尾島さんは、ゴカイのアマチュア研究者になり、一家は幸せそうです。旧友の尾崎さんも、たびたび撮影に来てくれるでしょう。
フェイスブックに、カメラマンらしく稼いでいる中川隆がこめんとしてくれました。 「三番瀬の漁師が 適度な濁りがあり、バカ貝やアサリが毎年何百トンも湧くのが東京湾江戸前なんだ。と言ってました。」 僕の答えです。 「何百トンも湧くのは、良いのです。何百トンも無酸素や青潮で斃死するのです。その斃死が無かったのが、昔の江戸湾だったので、世界最高の人口を持っていた、江戸市民を養っていたのでした。東京はオリンピックなどやらずに、なんとかして、昔の海を復活させて守ってゆくことの方が大事だと思うのです。」 中川 「昔は川から流れてくる多くの泥とミネラルが豊かな江戸前の海を造っていました。今は下水処理場が完備され、下水が直に流れては来なくなったものの、窒素リン酸という畑の肥料のような成分が多量に流れ込んでくるので 植物プランクトンが異常に発生する。糖尿病の東京湾と呼んでいます。どぶの匂いはしなくなったのはいいですね。」 清水まみ 「夏の終わりから秋のはじめ 水温上がった時の 苦しそうにあえいでる姿には 胸が詰まりました。 それでも、生きてますね。 勇気もらいます。」 若干、ぼくとはピントがちがいますが、感性としてはいいと思います。そのうちに、アマチュアとして、良いカメラマンになるでしょう。 ▲
by j-suga1
| 2014-04-28 18:55
| お台場
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2014年 04月 27日
0427 お台場
お台場に行く日だ。朝530に起きるが、昨日辰巳で泳いで身体が疲れている。行きたいという気持ちにならない。部屋で原稿を書いている惰力がついている。 しかし、現在、毎月、辰巳が5回、浦安が2回、そしてお台場。合計8回がモクのトレーニングだ。海はお台場だけだから、貴重なトレーニングだ。80歳で80m潜るためのトレーニングとしては、このくらいが最低限度だろう。 それでも、少しだけ原稿を書いた。いけない、遅刻する。あわてて支度をした。これがまず第一の躓きの原因だ。 鈴木君と8時に待ち合わせ、今日はゲストが多いので、ウエイトの準備、科学未来館の三ツ橋君のドライスーツ。BC、レギュレーター、自分の装備、BCとレギュレーターを余分に一つ持った。 お台場は快晴、寒くなく暑くない。良い気候だ。 第一の忘れ物、三ツ橋のフィンを忘れた。彼女はフルフットのフィンは持っているが、ドライスーツのためのフィンは持っていない。事務所まで取りに戻ろうかと思ったが、僕のフィンを交代に使うことにしたて、最初に彼女が潜り、そのフィンで僕が潜る。 天気が良い、日曜日だから、水辺で憩う人が多い。 清水まみさん、三ツ橋、鈴木、それに尾島一家、風呂田先生のグループ、海洋大学の地見君、破れたウエットスーツでは寒いだろうとドライスーツをやったのだが、なぜか、破れウエットスーツを着ている。それにダーウィンが来たの撮影をしている、本当に古い友人の尾崎君。彼の撮った東京湾は6月1日のオンエアーだという。多分、忘れてしまうだろう。 ![]() 三ツ橋、鈴木が、約一時間で上がってきたので、僕がはいる。タンク、12キロ、ウエイトジャケット7キロ、ウエイトベルト4キロ、レッグウエイト1.4キロ、合計25キロを背負うのはこたえる。そして、50mほど歩き、フィンを一人で履かなくてはならない。膝のあたりまで水に入ってら寝ころんでし後進で、這って、出て行く。水はきれいな方で、石垣の杭のあたりは1.5mぐらい見えるという。僕の目当てはメバルの稚魚の群れだ。いつもは4月になると出てくる。メバルを探しながら行くが岸が濁っているので、直線で、杭を目指す。いつも居るはずのメバルが居ない。 ![]() その代りに、まみが、でかい一眼レフで撮っている。三ツ橋たちと一緒にでて、交代で僕がでて、出会うのだから、二本分を一本で潜っている、水深は2m以下だから、減圧症の心配はないし、空気も長持ちする。すごいタフな奴だ。きっといいアマチュア写真家になるだろう。ああ、彼女にあげる約束の写真集を忘れてきた。まあいいか。来月もあるし、辰巳もある。 戻りは、水深2mを、ヘドロの上を滑るようにして、泳ぎ、コンパスだけを見て泳ぐ。ヘドロの上は、目印が無く、透明度も1m以下だ。トレーニングだ。おかげで、フロッグキックが少し上達した。 ![]() 戻ってきて、ドライスーツを脱ごうとするのだが、どうしても足が抜けない。先月までは抜けたのに、この一か月でまた体が衰えたのか。何とか、自力で脱ごうと格闘したがだめ。鈴木君に足を引っ張ってもらおうとSOS,なんとレッグウエイトをつけたままだ。これが第二の失敗。 昼休みは尾崎さんと昔話。なにしろ彼が18歳、僕が24歳ぐらいの時からの付き合いだ。昔話の内容はここには書ききれない。半世紀の話だ。 尾崎さんが言うには、メバルの稚魚の群れは、先の方の大きな岩の下にいたという。僕は杭を目指して一直線にいったので、途中のポイントを見ていないのだ。午後に行こう。 午後、2時ごろに2本目の潜水開始、これもやっとの思いでエントリーする。ところがどうやっても体が沈まない。タンクの空気が少なくなったからかとドライスーツは絞り、BCも空気を絞り出すが沈めない。なんと、7キロのウエイトベストを着けていない。これが第三の忘れ物。それでも、一旦上がってウエイトを着けて、戻ってきてエントリーする力は残っていない。メバルのところはあきらめよう。しかし、このまま上がっては、今日は終わってしまう。岸近くの岩をつかんで体を沈める。 ![]() そのまま岩の間から、トサカギンポが出てきた。片手でポールカメラのGoProを魚に向け、片手で岩をつかんで撮影する。そのうちにトサカギンポが2尾になった。そして4尾に、なぜか向こうからカメラに寄ってくる。初めての経験だ。いつもこの魚が、すっと岩の下に隠れてしまう。どうしたことか。 GoProのマクロアダプターを買ったのだが、どうしても取り付けられない。メーカーに送り返して取り付けてもらうつもりだが、もしも、あれが今日あれば、良い写真になったのに、なんとが5月にもう一度この場所で、同じ撮影ができればとおもう。 近くに清水が居たので、同じものを撮れたかと聞いてみる。一眼レフは、100マクロなのでピントを合わせられない。ピントの内側に泳ぎ寄ってきてしまう。それでもコンデジでは撮ったというから、僕の画よりはいいだろう。こちらのGoProもレンズから5cmに来てしまうので、ボケているだろう。 とにかく、ウエイトなしでも収穫はあった。 ダイビングは、今の僕、79歳にはほとんど苦行だが、苦行をすると体の調子が良くなるみたいだ。 でも疲れた。このブログを書くのが精いっぱいだ。 ▲
by j-suga1
| 2014-04-27 19:58
| お台場
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2014年 04月 26日
グラフィティの単行本化のためにコラムの原稿を書き、その中で、冒険と探検のちがい、探検は良いけれど冒険してはいけないという考え方に縛られて考え続けた。何をいまさら、という感が強いけれど、歳を重ねて、考え方が硬くなっている。グラフィティのコンセプトは、「夢と冒険を追う水中探検」だけど、それで良いのだろうか、よくないと根底から覆ってしまう。
最後の最後になって、冒険とは精神のことだ。と原点に戻った。そして、自己責任のことも、 ![]() 60歳の時の100m潜水練習中。赤いジャケットの代わりに、赤いドライスーツを着て、よろこんでいる。水深60m ③ 冒険 恩師、宇野寛教授から、「須賀君、命がけの冒険はいけないよ。エキスペディションなのだから」と言われた。エキスペディションとは、探検だと解釈した。先生は30代、僕は20歳だった。しかし、グラフィティのコンセプトは、夢と冒険を追う水中探検である。 僕の好きな言葉、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」Exploration is the physical expression of the Intellectual Passion .スコットの悲劇的な南極探検(1913)に参加して書かれた、チェリー・ガラードの「世界最悪の旅」。 「冒険とは死を覚悟して、そして生きて還ってくることである。」と植村直己が言っている。しかし、最初から死を覚悟するような冒険を追って探検することは、知的ではない。 27歳の100m潜水は、潜水技術の発展のための探検と考えていたのが、冒険になってしまったと反省したが、より正確には、結果として命がけの冒険になってしまったとするべきだったろう。冒険とはスピリッツであり、探検とは行動の目的である。 探検とは、未知の世界に踏み入って、探求する人間の活動を言い、分析し、計画し、目標を達成して戻ってくる活動であり、その根底になっているのは、冒険精神である。それは、何事があっても生き抜く精神である。そして、自分の知恵と判断で障害を解決しながら生きぬいて行くことに、人は喜びを感じる。つまり、楽しい。作業ダイバーも、陸上の作業員よりも楽しいので、潜水を続ける。素潜りの海女さんも楽しいから高齢になるまで潜り続けられる。 ダイバーは、自分と言う潜水艇の安全についての絶対権力者である。これを海ではキャプテンシップと言う。そしてバディの生還も互いに担わなければならない。このことを自己責任と言う表現を使うこともある。 未だ、キャプテンシップを担えない初心者は、インストラクターとかガイドダイバーに責任を担ってもらう。 ガイドダイバーに頼ったとしても、冒険ごっこではない、真正の冒険がそこにある。 本当の探検であるから、避けなければならない危険もそこにはある。その危険を自分の知恵と判断で避けて行く冒険が潜水なのだ。 ところで、「冒険はいけない」と言う精神が、何時、僕の心の中にうまれたのだろう。死んではいけない、死なせてはいけないという精神が強くなり、危険を冒してはいけないのだという気持ちが強くなったからだと思う。やはり、脇水輝之の死が、死なせてはいけない、絶対に、だから冒険を追ってはいけないとなったのだろう。グラフィティの年月は冒険をおっていた。79歳の自分は冒険を追ってはいけないと、人に教えるようになっていた。そのくせに、80歳で80mもぐるという、夢と冒険を追っている。 ダイビングをする人、つまりダイバーだが、誰もが迷い、そしてそれぞれの結論に到達するのだろう。いや、永久に結論に至らないのかもしれない。 僕の考えたことは、一つのサンプルである。 僕のブログを見て、いや違う、とか、これで良いとか考えていただければ、幸いで、ぜひ、単行本になったら、「ニッポン潜水グラフィティ」を買っていただければとおねがいする。 ▲
by j-suga1
| 2014-04-26 07:24
| グラフィティ
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2014年 04月 24日
冒険について書いているので、冒険と言う視点からすべてを見ようとしている。
昨夜、JAUSのウエアラブルカメラ研究会のミーティングがあった。今後、どのようにやって行くのか議論した。おわってから、飲み会に参加。僕はお酒を飲まないことにしているのだが、酒を飲まないと付き合いが悪くなる。悪くならないように酒を飲まずに参加しなければならない。 なぜか、話題はダイビングのことになった。僕はしばらくは聞き役になっていて、そのまま終了しようかとも思った。このディスカッションに参加して、良いこと、得になることなど何もない。 しかし、今書いている本のコラムで書けないようなことが沢山あり、それが頭の中に残っているので、つい、気が付けば、議論に参加してしまっている。 僕が話題にしていたのは、二つ、一つはバディシステムの問題、バディシステムよりもソロが良いという話題。インストラクターとかガイドダイバーは、一人で四人のゲストを連れて潜るとして、ゲストを二つのバディにすることで、安全をキープしている。四人のゲストがいないで、自分一人だったら、どんなに安全だろうか。事故を起こしたとしても、自分が死ぬだけだから、別にどうと言うことも無い。 だが、これはレクリエーショナルダイビングの場合で、プロの潜水は、事業者が責任の大半を持たなければならないのだから、一人にしてしまえば、そして、その時に事故が起これば、事業者の責任である。グラフィティの最後の章が、スガ・マリンメカニックの脇水輝之の事故で、これが僕のダイビング生活を変えてしまった。それまで、一人で潜れば一人死ぬだけ、バディの二人だったら二人が死ぬなどとうそぶいて、水深20m以下だったら、調査の仕事で一人で潜ることもあった。それを見て育ってきた脇水輝之が、一人で潜っても不思議ではない。そして、減圧停止中に一人でいて死んだ。原因は不明である。ただ、死んだ。原因は不明であるが、その時、バディが居れば死ななかった。 事業者、自営の経営者本人だけならば、一人で良い。しかし、一人で潜らせて、つまり命令して、口で命令しなくても、それを許可すれば、命令と同じことになる。命令して、通話器のないスクーバで一人で潜っていて、事故をおこせば、経営者の責任になる。プロのスクーバダイビングについては、バディシステムが絶対であり、一人で潜らせてはいけない。自営で経営者が一人で潜って、事故を起こしても、責任を問われる自分が死んでしまっているので、どうでも良い。 もう一つの話題は、「昔のダイビングの方が、今のダイビングよりも安全だった。?」 今、グラフィティのコラム原稿を書いているが、グラフィティ本文で、自分の書いた本については、ほとんど触れていない。だからコラムで紹介している。 そのうちの一冊。 ![]() 「スポーツダイビング入門」1976年 初版 マリン企画刊 共著者は竜崎秀夫さんで、ドウ・スポーツプラザ新宿の指導責任者、つまり校長をやっていた。ドウ・スポーツプラザ新宿は、「新宿から海がはじまる」というキャッチで知られていて、新宿の高層建築群の始まり的な住友三角ビルの別館に作られ、1974年4月にオープン、深さ10m、このプールだけでダイビングの初心者訓練のすべてができた。 この本で、スポーツダイビングの危険について、「インストラクターの望みは、受講者が正しい判断を下す能力を身につけてくれることである。-中略―行動の最終的な判断をするのはあなた自身である。どんなに有能なインストラクターも個々の潜水者について回れない以上、すべて責任をもつことはできない。ダイビングは安全なスポーツであろうか?適切な判断を下して、それを越えないような行動をするならば、ダイビングほど安全なスポーツはない。」と書いている。 まだ、潜水事故で遺族から訴えられることは想定していない。 この本の1976年時にはバランシングベストという名称で、ライフジャケットと同じような首に掛けるベストの形で、レギュレーターのファーストステージから中圧ホースで空気を気嚢に送り込むスタイルのベストが出来ていた。 「このベストは、水中に静止したい水中カメラマン、重い道具を扱うワーキングダイバーなどにはたいそう有効であるが、急上昇の可能性があるので、相対的な圧力変化の大きい、浅い水深で潜水することの多い初心者にはすすめられない。」と書いている。まだ、BCを使うことを全面的には認めていない。 ![]() この本の1976年は、僕たちのダイビングが一つの頂点だった。新宿の高層街のど真ん中に水深10mのプールもできたし、ダイビングクラブもダイビングスクールもショップとなって今の老舗の多くが、その頃には出そろっていて、利益を挙げていた。つまり景気が良かったのだ。ほとんどのお客に、小売価格で道具が売れた。 安全性の面でも、そのころが、今よりも安全だったのではないかと思う。 なぜ?それはBCが無かったからだ、と僕は思っている。 BCがなかったころは、自分が潜る水深を目当てにして、ウエイトを調整して、潜る。例えば30mに潜れば、浅い10m以下では浮き上がってしまう。目標を30mにしたら、30mでだけ潜水している。潜水する水深がマルチになるとしても、せいぜい、30mと20mとか、二つぐらいの水深に決めておかないと減圧停止が決められない。 魚突きをやっていても、よほどのエキスパートでないと、行動半径は今の半分程度だった。ただ、エキスパートになると、遠くの岸に流されて、バスで帰ってくるようなこともあったが、それも一生に一度か二度である。 減圧症については、ヨーヨー潜水はしない。そんな言葉もBC普及の後から出てきた。 BCが原因の空気塞栓も、BCを使っての浮上方法の研究と普及が無いころには、多発とは言えないが散見された。 しかし、器材、道具の進歩は、人間の冒険心と同じで、避けられるものではない。器材が精密化、複雑化しつつ、行動半径が拡大してゆくのも、人間の本性であるが、ダイビングについては、器材の発達が安全化とは逆行している可能性もあることを知らなければならない。 言うまでも無く、器材の進歩は避けられることではない。時代とともに変わってゆく。器材が進歩するほど、垂直、水平に行動範囲が拡大し、それに比例するように危険が増大し、知識も多く必要になり、技能の講習のための費用も増大する。もちろん器材そのものの価格も上昇する。 機材は複雑化するほど、慎重に、完璧にチェックしなければならない。危険を避けるための努力、練習が要求される。良いことは何もないが、しかし、人間の生きがいである冒険をもとめる本性が機材の進化を求める。 僕は80歳で80mに潜る企画を立てているが、このような複雑な機材の進化を捨てて、出来るだけシンプルな機材と方法で潜る。行動半径を定めれば、その範囲内で、シンプルに安全をキープして潜れる。 ▲
by j-suga1
| 2014-04-24 14:09
| グラフィティ
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2014年 04月 23日
グラフィティ 単行本化のために本文に加えて、コラムを7本入れることにして、その原稿を書いている。
そのことを、このブログで、メイキンググラフィティとしてこのところ書き続けている。 そのうちの1本が冒険についてであり、2000字くらい書いてしまったところから920字に削る。単行本はスペースが限られている。 削る作業はきらいではない。削った結果の現在0423である。 ③ 冒険 僕の好きな言葉、「探検とは知的情熱の肉体的表現である」Exploration is the physical expression of the Intellectual Passion .スコットの悲劇的な南極探検(1913)に参加して書かれた、チェリー・ガラードの「世界最悪の旅」。 グラフィティのコンセプトは、「夢と冒険」である。冒険と探検との違いは何だろう。 冒険は命がけとする考え方はかなり一般的で、「冒険とは死を覚悟して、そして生きて還ってくることである。」と植村直己が言っている。 探検も冒険も、命がけになってしまうこともある。しかし、最初から死を覚悟するようなことは、愚かであり、知的ではない。 27歳の100m潜水は、潜水技術の発展のための探検と考えていたのが、命がけになってしまい。冒険になってしまったと反省した。 しかし、冒険と探検に、危険の差を見出すことはできない。先のスコット探検隊も、学術的な目標を追求したために、全員が死亡した。冒険的に極点到着だけを目指したアムンゼンは無事に生還した。モチベーションの高さが、危険に結びつくとすれば、探検の方が危険度が高いかもしれない。 探検も冒険も、目標を決めて、そのハードル(難度)を分析し、計画し、目標を達成して戻ってくる活動という事では同じだ。どっちだって良いではないか、楽しければ。 作業ダイバーも、陸上の作業員よりも、楽しいので、潜水を続ける。素潜りの海女さんも楽しいから高齢になるまで潜り続けられる。なぜ楽しいか、自分なりに理屈をつければ、原始の水中世界に、原始の人間が生きる危険を、自分の知恵と判断で解決しながら生きぬいて行くことに、喜びを感じるからである。 ダイバーは、自分と言う潜水艇の船長であり、潜水艇の安全についての絶対権力者である。これを海ではキャプテンシップと言う。責任者ともいう。そして自分一人ではなくチームの生還も互いに担わなければならない。 未だ、キャプテンシップを担えない初心者にとって、潜水は冒険ではなく単なる危険かもしれない。インストラクターとかガイドダイバーに責任をもってもらって、それに従う。それでも水中と言う冒険の世界にほんの一足で入り込むことができる。 923字である。 これにもう少し加えたい。 スクーバの冒険は、ディズニーワールドの冒険ではない。造られた冒険ごっごでもない。水中と言う人の生きられない世界に入って行く、真正の冒険である。本当の冒険が安全にできる、安全を目指す本当の冒険である。 このことを入れたいのだが、その分を削らなくてはならない。 また。次のフレーズもちょっと書き直したい。 「探検も冒険も、目標を決めて、そのハードル(難度)を分析し、計画し、目標を達成して戻ってくる活動という事では同じだ。どっちだって良いではないか、楽しければ。 作業ダイバーも、陸上の作業員よりも、楽しいので、潜水を続ける。素潜りの海女さんも楽しいから高齢になるまで潜り続けられる。なぜ楽しいか、自分なりに理屈をつければ、原始の水中世界に、原始の人間が生きる危険を、自分の知恵と判断で解決しながら生きぬいて行くことに、喜びを感じるからである。」 そんなことで、冒険について考え続けているし、冒険と言う視点からいろいろな事件を考えている。 最近、世の中はSTP細胞発見の小保方さんのことでもちきりだ。僕もテレビを見たり、週刊誌を立ち読みしたりして、ウオッチしている。これほど、日本人庶民が研究者とか科学について注目したことは無い。まず、その功績が大きい。 科学は冒険のフィールドである。だから研究者は、冒険心で、冒険に引かれて研究のフィールドに入ってくる。研究者とは、果てしも無い科学と言う荒野に踏み入って、道なき道を行く冒険者である。それが実験室とPCに限定される研究であっても冒険である。僕の友人、仲間である研究者も冒険者であり、実験室の研究者が、海の中と言うフィールドに進出すると、それは危険である。実験室の中にも危険はあるが、フィールドは危険に満ちている。 水中は、人跡未踏の密林と同様に、猛獣毒蛇がワンサと居る。最近、日本海で猛毒、噛まれると致死のヒョウモンダコが発見された。エビ篭だかに6cmほどのこの蛸が、1尾とれた。そしてら環境省のレンジャーが危険なので、なみうち際は、厚い長靴を履いて歩くようにと注意を促していた。昔からヒョウモンダコは、八重山から九州、四国、伊豆半島で普通に見られる。この地域の渚をビーチサンダルなどで歩くことは厳禁である。北限はどこだか知らない。日本海では初めての1個体である。 すぐに脱線する。小保方さんはどこに行った。小保方さんは、他の科学研究者とどうように冒険者である。何かのはずみでSTP細胞を発見した。それを、理研、とかネイチャーの編集者が認めた。だから、公表し特許申請をした。特許の利権は理研のものである。別にシャレではない。 それを割烹着付きで発表した。美人の冒険者であり、それも飛び切りアッピールのしかたが上手である。最近の記者会見など、絶賛である。 ノートが無いという。ノートが無いのはまだいい。ずぼらな冒険者も数多い。僕など、研究者ではないけれど、ダイビングログも、この頃つけていない。70歳から、一昨年まではエクセルでしっかりと記録して、この方法がダイビングログのナンバーワンだとおもっていた。それがこの2年書いていない。ダイビングの数も減ったが、ブログに書いているから良いだろうと投げてしまっている。まあこれはどっちでもいいだろう。二つ書く時間が無くなっただけだ。 小保方さんも時間がなかったのだろう。いい加減な人だったのかもしれない。いい加減が悪いことであれば、僕の周囲にわんさといる。僕ももちろんその一人であり、アバウトは美徳であるとさえ思っている。小保方さんは、アバウトであったかもしれないけれど、美人であり、STP細胞を作り出したと自分で信じた、この信念は生涯まげることはないだろう。他に、生きる道はない。美人だから、男には持てるけれど、女は敵対視するタイプだ。後ろから刺されたのかもしれない。 STP細胞はあるかどうかわからない。しかし、この後、数千人の研究者が実験を重ねれば、見つかるかもしれない。私が一番目ですと主張することに小保方さんは、賭けたのだろう。おそらくは、これが本当だと信じたにちがいない。周囲の科学者は、その真摯さに、もしかしたらだまされたのかもしれない。真摯でなければ、人は騙せない。STP細胞の真実はまだわからない。ただ、そのフィールドを提示したのは彼女であり、もしかしたら途を開いた。 冒険とは何なのだろう。考え続けている。 ▲
by j-suga1
| 2014-04-23 10:11
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2014年 04月 19日
レポート欄に ほめていただいた。
返事を書いたのだがとどいているかどうかわからない。このブログの使い方が今一つわからない。そんなことで、ここでお礼することにした 「 はじめまして。ダイビングはしたことがないのですが、 月刊ダイバーは読んでいます。40歳になります。 シュノーケリングを年に1回程度する、しかも2年くらい前からです。 たまたま兄の結婚式に沖縄にいって、月刊ダイバーという雑誌をみかけてそれから読むようになりました。 ニッポン潜水グラフィティは月刊ダイバーの中でも 最も好きな記事です。ダイビングをまったく しらないわたしにとって非常に 別世界のことですが、ぐいぐいと引き込まれます。 スガさんの文体がすごく好きです。 ニッポン潜水グラフィティが本にならないかと思っていたので 非常にうれしいです。 さらにスガさんのサインをいただけるのであれば 最高です。 なにか注文フォームなど、連絡方法があれば教えてください。 」 こんな風にほめられると本当にうれしい。連絡方法は、メールアドレスをしらせていただければ、お返事します。 文体にはこだわっているのだが、ブログのように大量生産的に、推敲もそこそこだから、いや、推敲しないで書きっぱなしのことが多いので、自分の考えているような文体にはなっていないことが多い。 今書いているコラムについて言えば、字数が僕の文体にはすくなすぎる。例えば冒険について書いたのは、1800字だが、3000はないと自分の文章にならない。 しかし、字数を決められて推敲するのも、ためになる。やってみてわかったことは、文章の量が限られている場合は、書く題材で選択して、総計でやりくりするのがよいかもしれない。しかし、そうなると本当に現在書きたいことをおとさなければならない。 ここに載せているのは、コラムとして書いたのだが、グラフィティ全体の流れからは少し離れているし、このテーマならば、単行本に6pの年表を入れるので、それにした方が良いと思った。そして、自己責任とか保険のテーマは。どうしても業界と絡んでしまうので、ちょっとグラフィティから外れると思ったこともある。 なお、ここに載せたのは推敲する前の下書きである。 主に自分の書いてきた書籍、関わってきた教本などを中心にして、ダイビングの危険についての考え方、賠償責任訴追について、器材の進歩によるダイビングのスタイル(方法)の変化、など、ダイビングの変遷を追って行く。 ![]() 1966年7月初版、現在手にしているのは、1970年の5版だ。ダヴィット社刊。共著者の浅見国治は、水産大学潜水部の一期後輩:米国のUSダイバーズ社に研修出向している時に日本で多分はじめて、NAUIのインストラクターの講習を受ける。 アクアラング潜水」の グラビアに使った写真で、背景は千葉県金谷である 海の姿は変わらないが、装備は全然変わってしまった。BCは着けていないし フィンはチャンピオンという名前でワンサイズ誰にでも履かせた。 足の大きい人は痛みを我慢し、小さい人は運動靴を履いて使った。 日本で初めて市販されたスクーバダイビングの教本で、ほとんどすべての事項について、当時としての完璧な記述をしている。そのころ、すでにスクーバという言葉が定着しつつあり、アクアラングという言葉は、商標登録されていたが、あえて、浅見の勤務先の日本アクアラング社にお願いして、アクアラングという言葉をタイトルにさせてもらった。当時すでに、アクアラングという言葉にノスタルジーがあった。 アクアラング潜水の危険についての記述(全文ではない) 「潜水事故はダイバー自身が十分な知識と技術を備えて、潜水のルールを守っていれば、絶対に起こりません。自動車の運転では、いくら自分で注意しても、相手の不注意や誤りで事故が起こることもあります。潜水では自分自身を完全にコントロールできれば、絶対に安全なのですから、その意味では自動車の運転よりも安全と言えます。」 それ以後、想定外、予期しなかった原因で起こる潜水事故にいくつも遭遇し、そして、この世のことに絶対などあり得ないことを知らされるが、まだ31歳のころである。 安全潜水についての要約という項で10項目を挙げているが、「☆アマチュアダイバーは、窒素酔いの恐れがあり、また危急の際に自力で浮上することの難しい、水深30M以深に潜水してはなりません。☆減圧停止を必要とするような潜水を行ってはなりません。」 自分は窒素酔いの領域、減圧停止は、日常にしていたのだが、テキストでは、スポーツダイバーについては、ほとんど今のテキストと同じ注意をしている。 未だ、残圧計はない。 リザーブバルブで対応するとともに、「空気の供給が止まってもあわてる必要はありません。空気栓塞にかからないように少しずつ息を吐き出しながら上昇すれば良いのです。もしスキンダイビングで水平に25M潜水して泳ぐことができるならば、25Mの水深で空気が止まっても全く容易に水面まで上昇できます。」 講習会のプログラムも掲載されているが、4級:スキンダイビングが出来る。3級の講習が受けられる。3級:二日間の講習で、スクーバの脱着までおこない、1級以上の指導者とアクアラング潜水が出来るようになる。2級:水深10Mから5キロの重りをとってくる。(スキンダイビングで)1級:水深10Mから8キロの重りをとってくる。もちろんこれだけではないが、1966年当時の講習のレベルがこれでわかる。 事故について、例えば1級と一緒に潜水している3級ダイバーが事故死しても、1級を訴えるようなことは、無かったし、考えもしなかった。 減圧症などの潜水障害について、米国海軍のダイビングマニュアル1958年版から標準空気減圧表を抜き出して掲載している。 ▲
by j-suga1
| 2014-04-19 22:07
| グラフィティ
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2014年 04月 18日
ようやくコラム7本書き終える。まだまだ推敲するから、変わるが基本的にはこれで行く。
①ダイビングについて、三日かかった。 ②冒険 四日かかった。 ③水中撮影について書いた本 ④システム潜水 ⑤テレビの撮影 ⑥21世紀のダイビング ③④⑤⑥それぞれ二日ぐらいか 合計しておよそ半月、それだけやっていたわけではない。他の仕事もしているから、一日に4時間ぐらいだったろう。それに、ツイッターやフェイスブック見ながら考えている時間も結構長かった。考えあぐねて、見ていると急にわかるときがある。誰がどんなことを考えているか、行動しているのかを見ると、思いつくこともある。 考え方は人それぞれだし、自分が王道かどうかわからないけれど、王道はどこにあるのか、考えたことは勉強になった。 今回はグラフィティのコラムということで、考えなかったが、ダイビングの危険とか、安全とか、それぞれ、考えて、そして900字ぐらいでまとめると勉強になる。今さら勉強でもないから、頭の中の整理とでもした方が、良いかもしれない。 自分の文章がくどくなってしまって長くなることも良く分かった。意味が分かり、伝えたいことが伝われば良いと、簡潔にすることも大事だ。 これは、今日没にした原稿 グラフィティのコラムだから、このスタイルもありかとおもったのだが、この題材だと、やはり900字はつらい。 ![]() 福島久ノ浜放射能調査 2011 12月 福島沖 人工魚礁 福島県で人工魚礁調査を行った海域は、放射能汚染海域になってしまっている、松川浦、相馬、双葉、大熊町、四倉、江名、懐かしい。懐かしい海と言っても容易な海ではない。さえぎる半島も、島もなく、太平洋が直接に打ち寄せている。寒流と暖流がぶつかり二重え潮になる。冬でなければ水は澄まない。水産試験場の技師、大和田淳さんと一緒に潜水した。人格が丸く、顔も丸く、身体も筋肉質で丸い。ダイバーとしては、僕よりも上だった。なぜかと言えば寒さに強い。良いダイバーかどうかは、寒さに対する強さで決まる。冬、水が澄む頃、相馬の沖から岸を見ると、空気も澄んで、蔵王あたりの山並みがみえる。北西風が吹き降ろしてくる。潜水終了して船に上がると、大和田さんはウエットスーツをがばっと脱いで、真水をかぶる。蔵王おろしが当たって体から湯気がでる。僕も真似してみた。たちまち体が硬直して、もう少しで低体温症で凍死するところだった。急激に体を冷やすと危ない。 震災、大津波で、何かの役に立ちたいが、もはや、東北の瓦礫の引き上げは、僕の年齢では足手間問いになる。僕でなければできないこと、海にながれた放射性物質の調査を企画した。理研の守屋さんと一緒に、四倉、久ノ浜で調査ができ、10日間もぐった。うねりの中、濁水の中で潜った。その経験を活かして水深40mまで持ち込める放射線スペクトル分析装置を作った。昔潜った双葉沖の人工魚礁に潜って調べたい。大和田さんの力が借りたかった。試験場で消息を訊ねると、「残念なことでした。」という答えが返ってきた。調べると行方不明者の名簿に名前があった。津波に流されたのだった。 ▲
by j-suga1
| 2014-04-18 18:15
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2014年 04月 17日
コラム、冒険と探検について、これで4日間書いている。もうこれで終わりにしなければ。 冒険と探検について、友人の角幡唯介と、割合好きなノンフィクション作家高野秀行は、一冊の対談集を出してしまうらしい。二人とも早稲田の探検部だ。一冊の本にするほどの話題を、僕は920字で書く、時間がかかって当然だろう。 ネットをしらべて、 「冒険とは、死を覚悟して、 そして生きて帰ることである」 冒険家『植村直己』 僕の考え方はちがう。 その他、冒険と探検の違いでネットを調べるとザクザク出てくる。そのどれとも僕の考えは違うので、次第に不安になってきた。 しかし、自分と違う意見がある、多いのは当然のことであって良い。 しかし 角幡唯介が僕の本を見て、笑わない程度の事は書きたい。 そして、これは基本的なことだから、900字では無理だと1800字を目指した。1800字書いたが、900字に縮小した。 これは昨日、ブログのつもりで書いた。今はちがってしまっているが、本になると今の原稿も大幅に変わるかもしれない。 「冒険」=危険が待ち受けていると想像できることを、 あえて行う。そのような場所にあえて出かけること。 「探検」=(その人にとって)未知の場所に足を踏み入れ、 その場所にある(と思われる)何かを探したり、調べたりすること。出かけることが冒険で、探したり調べたりすることが探検だとしている。僕の考えとやや近い。 僕の考えは、探検とは、調べる、探す、目的であり、冒険とは、調べる、探すための行動としている。つまり、探検という冒険をしたり、探検のために冒険したりする。潜水とは、水中という人間の生きていられない世界に踏み込んで行く冒険で、水中という未知の世界を探検する冒険であるという。探検はほとんどの場合冒険をともなう。人が何かチャレンジする行動をすると、冒険をするとか、冒険だったね、などという。探検だったねとわ言わない。一方極地探検というが、極地冒険とは言わない。そして、極地探検には冒険的な行動、冒険する場面がずいぶんあるだろう。冒険とは、命がけになる場合もあるだろうが、すべての冒険に命を懸けていたのでは、命がいくつあっても足りない。 冒険とは、目的を達成するときにハードルがあれば、それについて調べて、対策を講じて、真剣に取り組むことだ。でなければ、ほとんどの冒険は屍の山を築くことになる。表現はもっと簡潔だが、そういうことを書いた。 命を懸ける冒険というのも勿論あるけれど、それは「命をかける」という形容詞が前に付く冒険であり、冒険は、人間の本性から、湧き出すチャレンジであり、ハードルはあるが、いちいち命はかけない。ただ、何時でも、冒険はいのちがけになる可能性はある。それを避けるために最大の努力をしなければいけないが、 ▲
by j-suga1
| 2014-04-17 13:09
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2014年 04月 14日
4月12日
潮美からコラムは、1p900字、7p用意している。・テーマは七つ。とすると、1テーマが900字だ。 10日から書き始めて、12日現在で、 ① 奄美大島 1955年と今 ② 人工魚礁 ③ ダイビングとは ④ 冒険と探検 ⑤ 大深度潜水その後 システム潜水 ⑥ 大深度潜水その後 テクニカルダイビング ⑦ 書いてきた本 スポーツダイビングの変遷 ながいものは6000字をオーバーしている。 とにかく縮めよう。 ブログを書いている時間がない。1テーマの縮めぶりを載せよう。 ③ ダイビングとは ダイビングとはどういうものなのか書こうと思った。 27歳の100m潜水について、今の視点から振り返って、「その時の潜水機材について、そして、空気潜水から、ヘリウム酸素潜水について、もう少し技術的に述べよう」とかんがえたのだが、待てよ、潜水について、ダイビングについてまるで知らない読者がいるのではないかと気がついた。 まず、潜水とは、この頃ではダイビングと呼ぶことがおおいのだが、本来、ダイビングとはオリンピック種目でもある飛込競技も含んでいる。 潜水する人のことを昔は潜水夫、この頃では潜水士と呼んだり、ダイバーと呼んだりする。潜水夫という言葉も嫌いではない。「潜水夫魂」と書いたT シャツが欲しいくらいだ。沈着冷静で何物も恐れない魂だ。しかし、やはり自分のことはダイバーと呼ぶ。 さて、潜水とは、水中に潜ること、まずは息をこらえて潜る。本文にも書いてあるが、これがダイバーの基本教養だ、と僕の時代のダイバーは思っている。これは素潜り、スキンダイビングであるが、だいたい20mぐらいまでを守備範囲とする。高齢になっても、つまり僕でもできるとても良い生涯スポーツである。 これより深く、生理的研究の成果を基本にしてはいるが、さらに深く潜るフリーダイビング(アプネア)というのがある。このごろ親しくしている岡本みすずさんは、きれいな奥さんだが、90mを目指している。そのうちには達成するだろう。27歳の僕が命がけで到達した90mを息を止めて潜る。もっと若ければ僕もと思うが、残念なことに無理だ。80歳で80mまで潜る計画が僕の潜水生活のゴールになりそうだ。もしかしたら、その時に岡本みすずさんも一緒にフリーダイビングで潜ってきてくれるかもしれない。 海女さんの話まですると際限もなくなるが、最近では重要な文化だと注目され、各地で海女さんが観光資源になっている。息をこらえて潜ることで漁獲が制限され資源とのバランスを持続的に維持し、しかも、能力に合わせて公平に資源を分配できる素晴らしい、世界に誇ることができる潜水漁法である。海女さんの素潜りもスキンダイビングも健康に良くて、海女さんも80を超える人がいるし、僕もスキンダイビングで、深さ8mまでは楽に潜れる。 息をこらえるのではなくて、水中で呼吸するためには、 袋に空気を入れて持って行く方法と、筒で水面の空気を吸う方法が考えられる。 忍者のように筒で空気を吸ってみると、30cmぐらいの深さで、もう吸い込めなくなる。水の圧力が肺を圧迫するので、吸えない。ポンプで空気を送り込まなくてはならないことがわかった。 大きいバケツを伏せて錘をつけて水中に引き込んでみた。すぐに苦しくなってしまう。これも、ポンプで空気を送り込んだらうまく行く。これが最古の潜水呼吸器だろう。大きいバケツではなくて、大型化して、釣鐘を入れて見た。潜函のはじまりである。 全て器械の進歩の方向は小型化である。 バケツの大きさを次第に小さくして行くことも試みられた。人間の頭が丁度は居る釜の大きさにして、釜に窓を付けて外が見られるようにすると、ヘルメット式潜水機になる。 一方、素潜りの海女さんは、最初はメガネのない素眼で、目に悪い職業だったが、やがて眼鏡が開発され、さらに目と鼻が入るマスクに進化した。眼だけの眼鏡だと、水圧で眼鏡が目に食い込んでしまう。鼻まで一緒に入れてしまえば、鼻から息を出して、圧力を平衡させることができる。 道具の進化の方向は、より小さく、軽くである。釜をかぶるのはどうも重い。 待てよ、マスクで鼻から息を吸い込めば潜水を継続できる。マスクにポンプで空気を送り込めば良いのでは、と気づいて、マスク式潜水機が生まれる。一方で、忍者の延長線上で、ホースを直接口に咥えてしまえ、と考えた人もいる。ポンプで空気を送り込めば、これでも深く潜れる。今でも、東南アジアでは、このタイプが使われている。これは、水タバコを吸う水煙管のようなので、フーカー(水煙管)方式と呼んでいる。 もう一つの潜水機進化の方向は、空気の消費量をできるだけ小さくすることであった。空気の消費量を小さくすれば、ポンプも小さくできるし、深くも潜れる。なにしろ、その場の水圧と同じ圧の空気を送らなければならないから、水深10mでは2倍、40mでは5倍の圧が必要である。圧力が高くなるので、ポンプを押す力、圧縮する力を増やさなければならない。10mで二人で押していたとすれば、40mでは、5人で押さなくてはならない、潜水機の空気消費量が大きいとポンプの大きさ(ピストンの容積)が大きく、10mで二人が必要ならば、40mでは10人で押すことになる。さらに、ポンプを押すのは重労働だから、交代要員も必要である。 ダイバーが呼吸する時、息を吸い込む時だけ空気が供給され、息を吐き出している時は、空気が止まっていれば消費量は二分の一以下になる。鼻から吸い込むマスクでは、口が何もしていない。洗濯バサミのような弁、口で噛んでいる時だけ開いて空気を流す弁を付ければ、歯で噛んで息を鼻から吸い込む。この仕組みを考えたのが、渡辺理一さんで、作ったのがが大串さんという鍛冶屋さんだったので、大串式マスクと呼ばれた。造られたのは、正確にはわからないが大正5年(1916)と書いている本があり、1918年には、タンクを背負う方式でこのマスクを使った特許が英国で申請されている。息を吸っている時だけ空気が供給される、つまり要求して時だけ空気が流れるデマンド(要求)バルブの祖という事も出来るが、まだ、容器の性能が悪く、タンクを背負う自給気式としては実用化されなかった。実用としては、第一次大戦でアレキサンドリア沖、80mに沈められた八坂丸から、片岡弓八が1925年貨を引き上げて、世界的に有名になった。 ![]() 大串式 この大串式、そしてほとんど同じ原理の山本式のマスクが、1930年代の日本のマスク式潜水機の主流であり、定置網漁業のための潜水として、三浦定之助、山下弥総左衛門(どちらも水産講習所の先輩)が漁業者の潜水教育を積極的におこなって成果を収めていた。 しかし、この歯で噛むという動作は、歯に悪い。僕が東亜潜水機に入社した1957年当時には消えてしまっていた。 浅利熊記というこれも水産講習所の先輩だが、ヘルメット式よりも軽便に、そしてもっと技術的に容易に、漁師でも使える潜水機、出来れば自転車の空気入れのちょっと大型くらいのポンプで潜れる潜水機の開発を行い。佐藤賢俊さん(のちの旭式潜水研究所社長)の協力を得て成功し、伊豆半島方面でのテングサの採集、北の海での鮭をとる、流し刺網漁でスクリューに絡んだ網の除去などに使われた。この潜水機も空気の節約のためにデマンド式ではないが、空気の節約のために、マスクに袋を取り付けて、息を吐き出している時に送られてくる分を蓄えておくようにしていた。 ![]() 旭式 本文にある東京水産大学での初期の潜水実習は、このマスクで行われた。 このマスクは、顔にしっかりと取り付けないと、空気が漏れてしまう。顔が痛くなる保しっかりと締め付ける。ポンプではなくて小型のコンプレッサーを使えば、空気消費など浅い海ではどうでも良い。緩くマスクを付けて、空気を鰓のように排出しても、ヘルメット式よりははるかに消費量は小さい。その発想で作られたのが金王式で、伊豆の海では旭式と人気を二分した。 ![]() 金王式 ダイビングの沿革について書いてしまった。 これで3000字だ。これではブログでも読んでもらえないだろう。1000wが限界だ。今後は、ブログも1000Wとしようかとおもう。字数を制限しないと文章にもならないし、それにコラムには写真を載せるスペースがないから、沿革を書くのはまちがいだ。でもダイビングとは何なのか、自分の考えを書きたい。 最終的にどうなったのか。是非、単行本が出たら買ってください。 ては。 ▲
by j-suga1
| 2014-04-14 11:47
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