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2016年 08月 30日
はいよいよ、東北に上陸、心配。 増水の避難情報、そして解除情報が並ぶ。
フェイスブックを見たり、映像の整理をしたり、ブログを書いたり していると、その先の事を考える。考えた事を書いていると、脱線して、支離滅裂になる。それを整理して考える。考えた事を書いておかないと、考える端から忘れていく。そのサイクルを繰り返している。時間が飛ぶように過ぎていくが、集中力が継続しない。せいぜい40分で途切れる。効率が上がらないで苛々する。 ただ、今、そのサイクルでちょっとおもしろい、かなり有用、有効なことを思いついた。 ブログにまとめておいて、シンポジウムで特別に時間をとってもらって発表しようか、まとまれば、だけれど。 まとめて言ってしまえば、「ウエアラブルカメラ+マスクマウント撮影によるダイバーの行動解析」つまりこれがタイトル。言ってしまえばコロンブスの卵のようなものだ。
フェイスブックを書いていると、カット写真に困る。 書いていることに関連があることが望ましいが、考えることと、行動、しかも撮影していることとは、全く違うことが多いから、カット写真がなくなる。気持ちの上で、フェイスブックのタイムラインは、自分のミニ写真展、発表だと思っているので、写真は使いたい。 宿毛で、マスクマウントのカメラを新しくして、(価格6000円のSJ4000) だが、割ときれいに写り、タイムインサートが出来る。マスクマウントはこれで決まりだな、と思った。
その、撮影した動画を、時系列に沿って静止画を切り出して並べる。それを端からフィスブックのカットに使っていれば、カットに困らない。 と切り出しを始めた。ウエアラブルカメラの動画をしっかり見直すことになる。そして静止画を切り出すことが解析になる。その時のバディの状況、ユニットの位置関係、(僕は二つのバディの集合をユニットと呼んでいる。)行動、そして自分の心理状態がわかる。70分の潜水を見るためには100分は必要だから、時間がかかる。時間がかかったとしても、この際、早送りしてはいけないのだ。
SJ4000 は、とった映像が自動的にセグメントになる。タイムも見やすい。このために作ったカメラのようだ。
レジジャーダイビングのガイド、インストラクターとゲストの行動もこれで解析出来るのではないか、自動車の記録と同じに スタッフがこれを付けることが義務付けられれば、事故の原因が解析されるし、それはつまり事故防止になる。 僕は、このことを意識してマスクマウントを始めて、やっていたのだが、解析を丁寧にやったことが無かった。全部の潜水をやることなど到底不可能だし、する必要もないが、自分の見たもの、見たことは、その後、しばらくならば、よく覚えている。要所だけを静止画にして、並べて一覧する。 僕の場合、調査にインターバル撮影をしているが、それと同じようにPC画面に並べる。そして一覧すれば良い。この手順を、常に意識して撮影、すなわち行動していれば、事故は防止にもなる。
先日の西川名2回の潜水で、一回だけしかマスクマウントをしなかった。そして、マスクマウントのカメラをGoPro2にしたのでタイムインサートがない。 その反省で、新しく6000円のSJを買って、宿毛で使った。
全部はとうてい並べられないので、ところどころ抜き出したものだが、そのダイビングの全貌がわかる。 ▲
by j-suga1
| 2016-08-30 21:07
| 撮影
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2016年 08月 29日
ハウジングの水没について ハウジング、(ブリンプ、水密ケース、プロテクター)そして、カメラ自体が耐圧、水密になっているもの、これらは、基本的に水没する。設計によっては、時間の問題だとおもっている。 それは、注意に注意を重ねていれば、水没は防げるだろう。しかし、注意に注意を重ねて、生き続けるということは不可能である。潜水するときの注意優先順位は、人によって違うだろうが、僕の場合、まず海況、そして、バディ、ユニットの状態、次に潜水機材、これは、場合によっては撮影機材が優先するときもある。優先順位では3番ないし4番であり、4番になったときに水没が発生する。プロの場合はたいていアシスタントがいるから、アシスタントが見て、自分がcheckする。あるいはその逆、もしくは、アシスタント、自分、アシスタントの順になるから、checkが、二重、三重になり、水没の可能性は低くなる。状況によっては(僕の場合?)水没90%までアシスタントの責任に決めていたから、(どちらかを責任者にしなければいけないので)水没はかなり防げていた。それでもニコノス5型を毎年、一台は水没させていた。スチルカメラは自分の管理だったからだ。6掛けで新品にしてくれる。 自分が作った(作らせていた)円筒形のハウジングは、ほとんど水没させたことがない。一回だけありえない水没があったが、内容積に余裕があるので、カメラ本体には影響はなかった。必ず水没と書いたけれど、それは、心のショックを少なくするための覚悟であり、設計によって、水没はパーフェクトに近く、絶対ではないけれど防げるのだ。
一般にカメラの防水はオーリングをつかう。小さなカメラ、たとえばGOPROなどは、Xリングの原理を使っている。XとOとを巧みに使うことで、現在の水中ハウジングの防水が達成されている。オーリングは円筒形シールを使えば、ほぼ確実に防水できる。円筒シールをダブルにすれば、ほぼ完全になる。ぼくが作らせていた円筒形のハウジングは、すべて生き残って粗大ごみになった。 構造上、円筒ダブルシールができない形もある。そのときは、水没するものと覚悟して、そのつもりで用心して使う。つまり、海況の次、潜水機材の前にcheckして、潜水機材をcheckし、最後にカメラをcheckする。さらに、水に入ったら、潜降する前にカメラを見て、気泡などがでていることがないか調べる。 そんなことは、毎度はとてもやっていられないので、水没が起こる。 水没しやすいシチュエーションは、潜水直前のあわただしいcheckであるという二律背反があるので、留意する。たとえば、オーリングにゴミが付いていないかと蓋を開いてみれば、そのときにゴミが付く可能性がある。あわただしく蓋を閉めれば危ない。 意外な落とし穴は、潜水を終了して、塩抜きのために水槽、あるいはバケツに入れておいて、水没させた経験が二回ある。水に入れておく時間はできるだけ少なくした方が良い。錆びるまで内機(カメラ)が現役で居られることは、デジタルになって以来あり得にくい。だから、長持ちさせる必要はないのだ。 次に、手に持って飛び込んだ衝撃での水没もあるので、水面で手渡してもらった方が良い。 長い間にほとんどの水没のパターンを体験した。それでも、大きい円筒形のハウジング、ドンガラが生き残っていて、事務所の一角を占領している。これも困ったものだ。 小さいカメラ、たとえばオリンパスTG シリーズとか、スマホ、ウエアラブルカメラなどは、X リングの変形 が使われていて、その部分が水密の命だから、かなり信頼性が高いが、ゴミ付き、閉め忘れというのがある。完全な閉め忘れというのは、なかなか無いから、閉めたつもりが締めの不十分というケースがある。僕のオリンパスTG-2は、このパターンで死んだ。 これは、人間工学的な設計ミスだと僕はカメラのせいにする。ニコンAW の方がこれは起こりにくい。設計が良いということだ。オリンパスは防水の上に、ハウジングに入れればほぼ完璧になるが、プロテクターを買わなければならない。 インストラクターやガイドダイバーのように、カメラに神経を使えない立場であり、しかもBCにぶら下げたりして使い方が荒い場合にはプロテクターが必須だろう。これで、水漏れがおこってもカメラは何ともない。ただし、そのとき、カメラの蓋が開いていれば同じことだが、確率としては無視できる。 僕はオリンパスのTGシリーズが好きだが、もう一度TG-3を買っても、おそらくオークションで買うだろうが、プロテクターまでは買わない。カメラに直接着けるワイドアダプターを持っているからで、プロテクターを買ったら、その上にまたワイドアダプターを買わなくではならない。「お金で解決できる」と言い放つのは、稼ぎの良いプロの世界だ。 新しい大型高級な一眼レフのハウジングは、かなり改善が加えられて、水没しにくくはなっていると思う。しかし、それは水没しにくくなったので、水没しなくなったのではない。
ウエアラブルカメラは、旧型でほとんど見られなくなったGOPRO2を3台使っている。4台買ったのだが、1台は水中で蓋が開いて完全水没した。蓋の開閉が、シングルアクションなので水中で衝撃でバックルがはずれてしまうのだ。バックルがはずれても、水中では水圧で蓋が圧せられているから、すぐには蓋が開くことはないが、そのまま浮上したときに開いてしまう。これを防止するために輪ゴムで止めておけばいい。ところがその輪ゴムで巻くのが面倒で省略する。何度かバックルがはずれて手で押さえて浮上したことがある。人間ってそういうものなのだ。GOPROも3型以降はダブルアクションになって、水中でバックルがはずれることはなくなった。GOPROをまねたSJ4000は、ダブルアクションになっている。 ウエアラブルカメラとか、オリンパスは、蓋が空いていたり砂粒がついたりしない限りかなり信頼できる。ニコノスよりも信頼性は高い。でも、水没する。
もちろん、ライトの水没、ストロボの水没も、これに準ずる。そういうことなのだ。
カメラが水没する確率の統計資料など無いが、人が死ぬ確率から0を二つ減らしたくらい。僕の、でたらめ計算によるダイバーの死亡確率が16000回に一度だから、160回に1回の確率だろう。念のために付け加えるが、確率とは、160回使ったら必ず水没するものではなくて、その都度の確率だ。円筒形ダブルシールでは、確率は1600回に1回ぐらいだろう。自分をふりかえって、ダイビング生活50年として、死亡事故の確率は0。5回、死んだかも知れないけれど生き残っている。カメラの水没は10回をはるかに越えているから、160回に一回よりももっと高いかもしれない。
なを、この水没論は個人的なものであり定説ではない。統計資料のない確率などナンセンスだが、水没が起こったとき、あるいは、自分が死んだとき、自分を慰める資料になれば嬉しい。 ▲
by j-suga1
| 2016-08-29 09:53
| 撮影
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2016年 08月 28日
ブログを仕事のように書いている。自分で考えるため、すなわち勉強するためである。積み重ねて置けば、何かになる。最新ダイビング用語事典を書きなおす時の資料になれば良い。 ![]() SJ4000 は3台目を宿毛のために買った。前の2台がレンズ面が汚れたから 買った。 撮影機材の選択 撮影だが、水の透視度が高い館山と、見えないお台場を連続した。そして、これを半ば程度まで書いた時点で、四国の宿毛にきて、撮影しながら、考えながら書き足した。 キャノンイオスデジタルX、2回水没して、3台目が入っている。コンパクトであることが、第一条件で買った。満足したことは終始一貫して無かったが、10年使ったから、愛着もあるし、仕事も随分した。前回の西川名で、ハウジングは引退する。コンパクトとは言え、僕の撮影スタイルには大きすぎる。
![]() 手持ちの機材でなにができるか、どうしたらよりよい撮影ができるかをチェックしようとしている。水中で使う機材は、水没する。またフィールドで使う機材は、どうしても取り扱いが乱暴、とくに僕の場合は荒い、ので壊れる。 壊れないような設計も可能であるが、それをかならずしも優先しない。コストもあるが、新陳代謝の意味もある。これは、決して皮肉ではない。今回テストした古いキヤノンは、2回水没したが、10年前のカメラ10万、ハウジング20万が、それでも合計が30万だ。それから、5年後、今から5年前くらいになると、カメラ30万、ハウジングもほぼ同価格と60万ラインになった。一方で、超小型、廉価のウエアラブルカメラは品質の向上と廉価格化が二方面作戦のように展開し、コンパクトデジカメも次々と新型が発表された。耐圧も15mから30mへと向上していく。
現状をまとめると ①カメラ+ハウジングが60万~100万の高級一眼レフライン ②カメラ10万、ハウジング20万の20~30ライン ③コンデジ+カプセルの 合計10万ライン ④コンデジだけの 3万~5万 のライン ⑤30m防水で1万以下のウエアラブルカメラ 4-7万の高級ウエアラブルカメラもある。
その中で、老い先が短く、お金はかけられない視点からの検討は一般のレベルでは、参考になるのではないかと考えた。やってみなければわからない世界なのだ。 すなわち④~⑤のくみあわせだ。 目標をもう一度確認すると、報告、発表につかう。具体的に言えば、フェイスブック、ブログ、そして報告書(レポート)だ。そして、印刷物のグラビアページ程度の原稿としても使いたい。
④~⑤の組み合わせで、この目標を達成する。それが立ち位置だ。 ![]() 宿毛でのメインカメラ。ライトが1灯だけだったので暗かった。2灯にするか、フィッシュアイのFXを修理するかどちらかにしなければ、2灯にするのはお金がかからない。今回1灯だったのは、2灯を束ねるビニールテープを忘れたこと、試しに一灯でやってみようと思ったからだ。それに 感度設定を間違えた。 そこで、使う機材のラインアップだが、 メインのカメラとして④ニコンAW130をつかう。 サブとしてマスクマウントで⑤のウエアラブルカメラを使う。
このところの撮影、西川奈名、お台場、そして宿毛とこのことを考えながら潜水して撮影もしてきた。
④ニコン ⑤SJ4000 でほぼ目標を達成できている。
![]() ニコンは操作性の良いタフなカメラで、画質としては、うまく使えば、雑誌の表紙、グラビア程度までいける。 うまく使えばという条件で、まだ使い方についてはもう少しチェックが必要だろう。 ニコンでの生物の撮影が、西川名ではまずまず成功、宿毛で殆ど失敗、気に入らないのは、しっかり構えてカメラを固定していないからだ。採集の手伝いをすることがメインと思っているから、カメラをかまえている間がない。これは、バディシステムで潜水している時でも同様で、バディに注意を集中していなければならないから、カメラに集中できない。必然的に、撮影はソロ、もしくは、自分主導で、バディはアシスタントになる。 それと、やはりライトが700ルーメンでは暗く、シャッターが鈍くなったからだろう。 魚の撮影をした時、最低条件として、眼がくっきりと写っていることである。目がぶれていた。 ![]() SJ4000 のキンギョハナダイも、むしろニコンよりもよく見える。(ニコン失敗、SJ4000 成功)
![]()
少し脱線するが、水中撮影のジャンルを考えて見よう。
プロ、 映像を売って、生活を立てているプロは、お金を掛ける基準がアマチュアとはちがう。そのプロの世界でも、水中は陸上の倍かかる。カメラとほぼ同価格のハウジングが必須だからだ。 しかし、機材が高価であることが、撮影の価格を維持できることでもあり、このバランスは微妙である。価格を維持できなければ、プロとしては脱落である。
ハイアマチュア 水中撮影の、能力、技術ではプロと優劣が着けにくい。プロとハイアマチュアの差は、企画能力、営業能力の差であり、生活のすべてをかけるかかけないかの差、である。 成功、失敗は個人の価値観で決まる。 一人一人を思い浮かべて、誰がプロであり、誰がアマチュアであるのかわからない場合も多い。 わざと、自分はアマチュアであることを強調している人もいる。 他の仕事で生計を立てていられれば、プロではない。ガイドもその意味でのプロとの境界は作品集を出版しているか否かで決める。僕はスチルの作品集は、非売品しか作っていないから、スチルのプロとは言い難い。 動画は生計をたてていたからプロである。 リサーチ、研究者の撮影は、次の一般レベルで良い。
一般 10万以上の機材の購入は数年に一度、もしくは、10万以上の機材は購入しないダイバー このレベルのジャンル分けは多岐にわたり、詳しくここでは述べないが、研究者、作業ダイバー、調査会社、もこの区分に入る。もちろん、大多数のレジャーダイバーも入る。 今の自分は、この中に居る。 一般の撮影についての論は少ないので、役に立つことが多いのではと願っている。 現在は、プロとは言えるほどの仕事はないので、レクリエーショナル プロダイバーで(そんなのあるか、あっても良い。)つまり、一般のレベルに居る。 撮影機材は ③が欲しいが、④、場合によっては⑤ である。 ▲
by j-suga1
| 2016-08-28 09:37
| 撮影
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2016年 08月 27日
8月26日 0740頃、出港 波浪予想3mとか、宿毛湾の中は平らだ。 僕は、歴戦の5mmのウエット、水温は29度で、温泉気分だ。ということで。フードジャケットは着ない。アルミタンクなのでウエイト5キロはそのまま。 カメラはニコン クールピクス をイノン700を一灯だけ着けたライトグリップにのせた。マスクマウントは、新しく購入したばかりのSJ4000。 シンプルで身軽になった。 潜水地点は宿毛湾の出口を塞ぐように浮かぶ沖の島の内側、懐のようなところだ。 波は無い.船の上から見た透視度は20m以上見えそうだ。海は来てみなくてはわからない。水の中の場所は僕たちですでにわかっているので、森田は潜らない。僕と中尾先生、町田と里奈のバディだ。 先生が沈んでこない、ウエイトを1キロBCのポケットにいれる・9キロのウエイトベルト+1キロだ。 行くポイントはわかっている。水深14mあたりの 岩の陰だ。町田のバディは、ためらいも無く降りて行った。中尾先生が、右へゆき、左へもどって、降りてこない。耳が痛いというサインもないし、体調も悪くなさそうで、昨日の夕食、今朝の朝食かなりのボリュームなのだが、きれいに食べた。 海の状況だって、最高にちかい。多分、何かの理由で、嫌気がさしているのだろう。ときたまこういうことがある。気が向かなくなる、ちょっとしたことが気になる。僕は、こういう感覚は大事にする方針だから、眼を話さずにみている。見ている。 そのうちに、気が向いたらしく、少し降りて、目当てのものらしい海綿を切り取りはじめた。 地味な茶色のような、岩と見間違う海面だ。採集したのは、水深12m、ここから先はいつもの中尾先生で、細かいものをいろい採集する。残圧が50を切ったので、浮上のサインをして、ボートの方向にもどる。後一回採集したら浮上しよう。 採集の結果は、満足できるものであったらしい。 よかった。 撮影の結果は、ニコンの水中で、良いカットが一枚も無かった。すべて、失敗。いいなと思ってカメラをかまえて、液晶に集中して撮影したのは、一枚も無かったのだから予想通りであったが、これではダメ、もう少し何とかしようと思う資料になった。原因はシャッターぶれ、やはり、700が1灯では、くらい。横着しないで2本束ねれば良かった。実は束ねるビニールテープを忘れたのだ。船の上で、森田に言えば、よかったのだが、一本でもいいや、やってみようと横着した。寄れば、これでもよいだろうと。 それとも、やはり、フィシュアイのライト修理をさせなければいけないだろうか。 新しく買った sj4000のマスクマウント マスクマウントは、タイム記録用と決めているがどの程度きれいに写っているかも見たい。解像度のテストでは、ニコンの方が良いが、ちょっと見たきれいさでは、どうだろう やはり、予想通りで、切り出し静止画でもあるので、シャープネスではニコンにおよばないが、きれいには見える。フェイスブック、ブログ、(すなわち報告書とどうとう)については使える。お (冒頭に比較している) ライトの光量を十分にして、スチルでシャッターを押したらどうだろうか? とにかく、これで潜水は終了、スイカがおいしかった。 ▲
by j-suga1
| 2016-08-27 06:10
| 旅行
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2016年 08月 25日
羽田発 0725 松山着 0850 JAL 303 800 大洲を通り、四万十川経由 宿毛着 1600 途中、道の駅 二つ 伊予で昼食 田舎料理?バイキング 西土佐で、みんなはアユを食べる。僕は里奈から一口もらう。アユの味がする。それほどおいしいと思わないのだ。僕は。 四万十川の沈下橋をみる。気分が良くなる。橋の上は、肉離れも気にせずに歩いたり。 宿毛 パシフィックマリンの 森田君と明日の打ち合わせをする。 台風10号は 大東島の方で、うねりの製造に励んでいる。やがて北上して、小笠原経由関東行きか? 明日朝から、午前中の勝負だが、明日は明日の風(うねり)が吹くだろう。 森田君と雑談、というか、昔の冒険はなし。森田とか、波佐間の荒川さんは、そして、僕も、絶滅種のダイバーだ。僕たちがそれぞれ終わったら、あとからは、永劫にこの種は現れないだろう。
僕の60歳の100m潜水で、宝石サンゴ取りのコルシカ島のアランの日常の100m潜水を見学にいった。彼は、日本の足摺に来て、120m潜水して生きた宝石サンゴの採集をした。 このプロジェクトのプロデューサーだある、関邦博先生は、今どこにいるかわからない。多分、南米のどこかにいて、不老長寿の研究をしている。200歳までは行けるらしい。 そのデータが毎週2通ずつ定期的に送られてくる。とても通読できるボリューム(多い)ではないが、迷惑メールには入れられず、保存して時々みている。 アランが命がけで採った生きた宝石サンゴは、真鶴琴が浜の福島のところの水槽にい入れたが、すぐに死んでしまった。 福島君ともゆっくりとその時の話を聞こうと思っていたのだが、亡くなってしまった。 関さんの夢は、そのうちにワシントン条約で宝石サンゴの採取ができなくなるかもしれないから、宝石サンゴの養殖をやろうというもので、宝石サンゴ業界が資金をだした。「コーラルルネッサンス・プロジェクト」と呼んで、新宿の京王プラザホテルを借り切って大、宝石即売大会をやり、関さんが講師で、なんだかわからない話をして、僕も聞きに行った。 「日に焼けた女の子の宗元には、白サンゴのペンダントが似合う」とか、 旅先、宿毛の宿なので、あんまり複雑なことは書けない。 ▲
by j-suga1
| 2016-08-25 20:28
| 旅行
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2016年 08月 24日
西川名に続いて、21日、日曜はお台場の潜水
撮影の話でつないで行こう。 使えない一眼も、お台場ならばマクロで何とかと考えたこともあるけれど、東京港の撮影は、自分としては個々の生物よりも全体像の把握と記録がねらい、このねらいは、長らくやってきた人工魚礁調査の撮影、磯ね調査のねらいの延長線上でもあったのだ。 自分の撮影を振り返るとテレビ番組の撮影、大型展示映像の撮影、撮影調査で、どれも広い撮影、その中で、マクロはクリオネを追った。顕微鏡撮影も手がけたが、ああ、脱線しかけている。 要するに僕のスタイルのマクロにキヤノンデジタルX は使えない。
もう、撮影機器にはお金は、最小限度しかかけない。ある機材を使い込む。しばらくは、このスタイルで行く。だから、化石になりかけている一眼を使おうとした。化石といっても、2007年、昨日のように感じる昔に買ったのだ。でも、買ったときにはたいへんだった。そのストーリーは、、、、、また脱線。
今回のラインアップは、ニコン(Aw130)をライトステイに載せて、イノンの700を右側に1灯だけ付ける。マスクマウントは、時間測定を必須として、SJを付ける。それだけにした。手にするカメラは一つだけにしよう。 エントリー カメラを渡してもらう。岸は取材のカメラマン 準備の苦労:左足肉離れについては、20日の土曜日は足の完全休養とした。
風呂田先生は、今日も行徳の干潟に、生き物が元気にあふれる干潟だ。自分ももうこのあたりで、と思ってはいけない。クリーンアップ大作戦を主催している港区キッスポート財団が発足20周年とかで、記念誌を出すとかで、インタビューを受けることになっていた。20周年と言うことは、僕たちのクリーンアップの方が先輩だ。海上保安部の宮野さんと一緒にクリーンアップをはじめて、その後で財団ができたのだ。そのあたりのいきさつを忘れてしまっている。ブログを書くことの意味は、そんなところにもある。 インタビューでは、自分の居なくなった後のことを考えて、ゴミ拾いだけではなくて、生物観察も入れようと提案しておいた。
台風9号の接近で、一日ズレたら大雨だった。台風の前で、暑かったけれど気持ちよく晴れていた。
今年、お台場では周年ドライスーツで過ごすことにしている。熱中症が危ないからウエットにするようにと河合先生に言われているが、僕はウエットからドライに変わる時が危ないと思っている。急に身体が拘束され、ウエイトが増え、首が絞められる。
7キロのウエイトジャケット、2キロのベルト、レッグが1、5キロ、合計10キロに、10リットル、およそ12キロのタンクを背負い、計22キロを身体に着けて歩く。15mほどの距離だ。左足は大丈夫か?。 今日から、エントリーは、予定通り、這うことにする。波打ち際でフィンを履く。海洋大学の江原君が手を貸してくれる。このごろは、毎度来てくれている。 今日のメンバーは、ゴカイの分類の尾島さん、そして奥さん、科学未来館の三ツ橋、美人さんと言っておこう。みかけとちがってタフだ。日本水中科学協会事務局長の鈴木君 干潟研究者の多留さん、東邦大学、そして、江原君だ。 フィンを着けた位置で膝を折り、膝立ちになって、後ずさりして水に入る。インタビューの写真を撮るカメラマンに「立ち上がってください」と言われる。「無理」と断る。膝を折る前に撮っておくように言えば良かった。這っている姿では、絵にならない。 水が太股のあたりで、降りて、膝立ちで、マスクを着けるところを撮ってもらった。それから、身体を反転させて、泳ぎ始める。 硫黄バクテリアの膜 水の透視度は、この時期としては普通だ。人工砂浜とブルーゾーン(図参照)の境目あたりでライトを点ける。海底とカメラの距離は30cmくらいで、ニコンの液晶でよく見える。つまり、透視度50cm、撮影距離30cm以内なので、マクロに設定する。 すぐに硫黄バクテリアの白い膜の広がりが見える。このあたりまで広がっていることは、あんまりない。 「あんまりない」これは記憶であって記録ではない。記録する事が目的だから、タイムインサートが重要になる。お恥ずかしいことにこのごろまでタイムインサートは重視していなかった。写真的には無い方が良い。プロパテイで撮影日時はわかる。しかし、インサートがある方が記録価値が高い。sjも、ニコンもタイムインサートにしている。 硫黄バクテリア膜をスチルで撮っておく。5cmー7cmほどのマハゼがちらちら見える。先月からあまり育っていない。育っていないのではなくて、このサイズがここに集まるのだろうか。江原君は、ヌタウナギを研究するとか言っている。なぜヌタウナギなのだ。マハゼでないのだ。海洋大学にマハゼを研究する先生が居ないのだろう。ともあれ、お台場で論文を書いて卒業していく学生がいない。東大の杉原だけだ。 ドライのバランスに慣れたので、気持ちよく進む。少し深い、2mほど、のコースを取っている。帰りに浅いコースをとればいい。 お台場の天然礁とも言える杭の跡を目指す。 杭の跡が、魚が多く、そしてイシガニが見つかる可能性がある。それに、杭につく付着生物が月毎に変化する。ここを詳しく見ることで何かがわかるはず。 杭に到着、ていねいに見て行く。マハゼの10cmサイズが1尾 群は作らないが、まとまって見えることが多い。そのまとまりの範囲を計るのは、その準備がないとできない。 前回の7月30日には、このマハゼのまとまりが、砂浜に近い牡蠣殻のブルーゾーンのあたり一面に見えた。動画で撮ってある。今回は、ブルーゾーンのあたりが硫黄バクテリヤの薄い膜ができていて、マハゼも2ー3尾は見えるが、まとまりは見えない。 まとまりのできる場所、その大きさと硫黄バクテリアの相関はわからない。息苦しいのか、それとも、餌になる微小生物の多少かも知れない。これも調べればおもしろい。 調べるとおもしろい、でもできないことの羅列だが、今は、羅列にとどめる他無い。羅列は羅列のまま終わることが常だが、羅列から全体のイメージが見えてくる。リサーチとは、疑問を探し、解答を探すことだ。 ニコンのバッテリーインジケータが三分の一ぐらいになったので、オフにして、マスクマウントをはずして、手持ちにする。ここでは、ニコンは不要なのでは、と言う考えが、頭をかすめる。 帰路は浅いコースを取る。岸辺に立つ看板のあたりの干潮線の下の転石の周り、そして陰が、マハゼのまとまり、イシガニが見られるところなので、動画をニコンでとりながら見ていく。バッテリーがなくなればSJの動画に切り替えれば良い。5cmほどのチチブがバラバラと、彼らは石の下に多数潜んでいる。酸素が乏しくなるとでてくる。乏しくは無い模様だ。 尾島さんの測定では、酸素は例年通り減ってはいるが、ひどくはないそうだ。魚の出入りをみていれば酸素濃度もわかる。この相関も調べたい。 5cmほどになったメバルが1尾だけ、メバルもシマイサキも杭のあたりで見られなかった。10月には見られるだろうか。
グリーンゾーンの転石を終わり近くまで見て、進路を深みへ変えて、3mゾーンに向かって降りていき、ヘドロの上を滑走して、硫黄バクテリアの様子を撮影する。かなり発達している。これも、撮影記録の比較が、今できることだ。そして、マハゼは1尾も見えなかった。例年ならば少しはみえるのに。 10時 40分から 11時 46分まで、これはタイムインサートの数字だ。お台場は、浅いので、ダイブコンピューターは働かない。 砂浜に帰り着き、フィンをはずして立ち上がるとき足を痛めそうで怖い。近くで尾島さんの奥さんがゴミ拾いクリーンアップをしていたので手を借りて立ち上がった。肉離れをかばったのだ。ここでも這い上がってタンクを外して立ち上がるべきだったかも知れない。砂の粘着力に足をとられて、ちょっと痛かった。三ツ橋、江原も走ってきて、目印に身体に点けているブイとロープを持ってくれた。 後は、自力で歩いて、犬が身体を洗うシャワーまで行き、タンクとウエイトをはずし、犬のようにしゃがんで頭から水をかぶり、ドライスーツを洗った。お台場には、人を洗うシャワーはない。犬の高さで水がでるシャワーだけだ。なお、ドライスーツはTシャツに少し汗をかいたが快適だった。
さて、撮影についてだが、一回の文字数を最大で3000と決めていて、3000をかなり越えたので次に続く。 ▲
by j-suga1
| 2016-08-24 09:28
| お台場
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2016年 08月 23日
撮影は、人それぞれ、その目的、その撮影をした時の目標、その場、その環境によって異なる。 僕の目的は、フェイスブック、ブログ、JAUSのシンポジウム、新しい最新ダイビング用語事典に使う可能性がある。そして、なによりも記録、今回は、できれば引き受けている雑誌表紙 「豊かな海」のストックをつくりたい。写真展、写真集の出版もかんがえないではないが、自分としては、写真のクオリティよりも、記録としてのクオリティを考えるので、難しいだろう。
そして、自分のカメラマンとしての仕事は、テレビ番組の仕事が80%だったが、60歳以降は展示映像のしごと、そして次第に調査の記録撮影が主体になり、79歳以降で上記の状態になった。80歳までしか生きる予定がなかった。
立ち位置を明確にしておかないと、書いていることがわからなくなる。 新機材を買わないのは、財政的な問題もあるけれど、これから先の年齢を考えると、現状のもので何が出来るかを追求し続けた方が良い。意外にもこういうような前提は、読者の参考になるのかもしれない。 19日の潜水で用意したかめらは、 ①一眼レフ キャノン・イオスデジタルX とフィッシュアイのハウジング、レンズは18mmがワイド側だかか、ワイドレンズではない。いろいろと欠陥があり、水没も2回、ダメなカメラで、10年以上前の超旧式カメラであるが、愛着がないわえではない。 もう一度だけ、最後に使ってみよう。新しい機材を買わないことが第一前提だから、もしも使えるならば、現役復帰も考えよう。
②コンパクトデジカメ ニコンクールピクスAW130 オリンパスTG-2を中心につかっていたが、このニコンは30m防水、で、ニコンである。ニコンであるということはニコノスの血筋か?ということで買って、オリンパスが死んで以来、メインに使っているが、どうもGoProの動画からの静止画の方が、自分の目標には合致している。GoProを使うことが常で、ニコンは気が向いたら、すなわち、GoProがメインで、ニコンはサブである。 今回は海の事情で、2回目の潜水は、ニコンだけを持って撮影した。
③SJ4000 お台場の撮影ではGoProよりもむしろ、シャープな感じにとれる。あくまでも感じではあるが、お台場ではこのカメラがメインになることが多かった。
④GoPro、僕のGoProはGoPro2である。2012年、福島の放射性物質調査の時から、使っている。調査のインターバル撮影のメインでもあった。タイムインサートができないのがリサーチカメラとして致命的欠陥であるが、辰巳プールではこのカメラが一番無難に綺麗にとれる。GoPro3も持っているが、これは本当にダメなカメラで、使うことはほとんどない。電池がすぐに無くなってしまう。絵も安定しない。これがダメだったので、改造、改良された3;+ 4は良いらしいが、すでに、GoPro2を4台持っていたので、そのたぐいのカメラをもっているのに、良いからといって買うことは無い。買わないように決めている。決めていないと際限もなく買ってしまうからである。GoProも一台死んで、現在は3台つかっている。SJが2台だから、ニコンをいれて都合6台を割りとフルにつかっている。
一眼レフハウジングの上に載せる動画カメラはSJ4000にした。マスクは、一眼のダイブウェイズの新しい型で、石川式のマスクマウントを付けて、GoPro2を付けた。
一回目の潜水はニコンは持って行かなかった。実は、車の中に忘れたのだ。
V字谷という地点でイサキがうずを巻いている。トルネードになっていることは、フェイスブックなどの情報でしっていた。これが「豊な海」の表紙になると思ったのだ。 壮観なトルネードの一部を切り取ってしか見ることができない。上に載せたSJ4000 はワイドだから、全景を見ることが出来る。そのギャップの中で、一眼レブのファインダーに集中することなどできない。 適当にカメラを向けてストロボの光を確認しながら、シャッターを切っていく。そういえばストロボを光らせるには随分久しぶりだ。ライトをメインの光源にするころから、ストロボの光が邪魔になる。そして、ライトはその効果が常に見て取れるのに、ストロボは光らせた絵を確認しなければわからない。
緑ちゃんの顔でも撮ろうかとカメラを向ける。彼女は撮られるのが好きではない。どういうポーズをとったら良いのか、どんな顔をしたらよいのか、把握していないので、嫌なのだろう。自分もそうだから、よく分かる。 カメラを向けた途端、「あそこに大きな魚がいる」と指差した。このカットは悪くはない。この潜水で撮った一眼レフの写真で、唯一、なんとか気に入った一枚だ。 指差す方向に、大きなモロコ(マハタの地方名)が居た。 一眼レフの上に載せた、SJは、ファインダーの役割はともかくとして、画像は白くボケた部分があったりする。ハウジングのレンズ面に傷がついているのだ。このカメラは、タイムインサートが付いているので、インターバル撮影に多用している。垂直安定板を付けて引き回すことはともかくとして、船上に引き揚げての扱いが、安いカメラだからまあ良いかと乱暴になっている。この傷のためのボケは豊潮丸の航海の撮影でも気づいていたのだが、タイム記録だから画像はどうでも良いや、と放置していた。GoProの方は同じ扱いでもレンズ面に傷は付いていても目立たない。SJは安いカメラだから、この部分の材質に手抜きがあるのだろう。だからこそ、大事に扱わえない。
マスクマウントに付けたGoProは、レギュレーターの泡が邪魔をする、そして、一眼のファインダーを覗く度にカメラを持ち上げるのが写り込み邪魔になって絵にならない。これは最初からわかっていたことだ。マスクマウントはタイム記録以外は使えないのに、逆にしてしまった。マスクマウントをSJ 一眼の上をGoProにすればよかったのだ。
二回目の潜水、 潮が出てきそうだったのと、大きいけれどろくな絵は撮れないと、キャノンは水にいれないで、ニコンだけになった。マスクマウントにGoProをつければ良いのだが、付け替えが間に合わない。 ライトステイも使わずに、ニコンで全部自然光で撮ることになった。 このカメラはオリンパスのTGよりも画質は若干すっきりしない。特に新しいTG-4 に比べれば劣るだろう。ただ、液晶は見やすい。そして、片手、右手だけの操作がやりやすい。オリンパスは蓋を開けて(ほんの僅かなズレだが)しまって水没させた。ニコンの方は蓋を開けてまう可能性が少ない。人間工学的には優れている。水中撮影、特にリサーチの記録のような撮影では、人間工学的アドバンテージの方が大きい。もう少し画質を良くしても良いのに、天下のニコンなのだから。といっても価格の問題がある。このカメラが10万だったら、僕は買わない。たとえ画質が少し良くても、だ。
トルネードは、動画もスチルもニコンでとった。 イサキを撮りながら、色が気に入らない。色温度のプリセットをしておけば良かった。オートとおまかせだ、意味がどう違うのかわからないが、オートの方が良さそうだったので、オートで撮った。 もう一度ニコンのチューニングをやる必要がある。
結局、この設定で撮ったニコンの何枚かが「豊かな海」に使えそうだ。
使い続ければ、必ず水没するカメラだ。すなわち人間工学的に劣っている。陸上の撮影に一眼レフが一台くらい会っても良いから、陸上勤務にしよう。 ▲
by j-suga1
| 2016-08-23 13:21
| 撮影
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2016年 08月 22日
西川名ー2 2回目、11時30分集合、緑は、寒いからとパス。僕も、石川君から5mmにしますか、と聞かれて、面倒でもあるので、寒くなったら上がるので、事故防止になる、と、やせ我慢をすることにさた。
船に乗り込もうと歩きながら沖を見ると、潮波がみえる。風と潮がぶつかって立つ波だ。ブイの地点には波は見えない。営業である石川君および、そのスタッフには、許容範囲なのだろう。 マスクマウントは着けないで、ニコン・クールピクスを持って行くことにした。キヤノン一眼の上にGOPROを着けるから、それで、3台だ。4台は多すぎる 。 エントリー寸前にキヤノン一眼をキャンセルした。ニコンに絞ろう。流れが来る可能性がある。ダイブマスターがキヤノンを持ってくれるだろうが、流れがきたときに、僕のサポートと両方になったとき、ハウジングに衝撃を与える可能性がある。このハウジングは衝撃には弱い。前に、飛び込んだ衝撃で沈没したことがある。 となると、キャノンの上のGoProは、マスクマウントにしておけば良かった。潮の流れの体感がとれる。何処で発表する予定はないが、僕の撮影のポリシーは、アクション&アドベンチャー(アアク・ファイブ・テレビのAACは、アクション、アドベンチャークリエィティブ)だ。 付け替えている時間がない。ニコンだけで発進する。まだ、流れは感じない。イサキのトルネードと大きなモロコのツーショットを撮って「豊かな海」の表紙にしよう。迷わず直行する。
ニコンの液晶の方が、一眼のファインダーよりもみやすい。 イサキを見上げて撮るが色が気に入らない。プリセットをしておけば良かった。この状態撮影中の現場で設定はちょっと困難、ニコンでは、おまかせ、風景、オートの三つからの選択だ、選択と言ったって、オートかお任せだから、どこが違うのだ、と、つっこみたくなるが、おまかせよりオートのほうがましに見える。とりあえずオートで撮っておく。 デジタルは若干の補正は簡単にできる。連写の設定にしておけば良かったと思うが、これは、画質が落ちる。 動画でも撮っておく。 モロコについては、自分なりになっとくのシャッターを押したし、文ちゃんとモロコのツーショットも撮った。 ![]() 10分も潜っていないが帰ろうと指示する。潮波が頭から離れない。流された経験は数えられないが、昔は泳力があった。今でもダッシュ練習は欠かしていないが、昔のように400mではない。50mで息がきれてしまうことを確認しているだけだ。 安全停止をするよりも、安全停止などしなくて良い時間をダイブコンピューターは指示するべきだと思うが、文ちゃんのダイブコンピューターに従うことにブリーフィングで決めている。
安全停止で、波で上下するボートで、ロープがしゃくられる。手を離して中性浮力で静止しても流されはしない。流れはわずかだった。 エキジットはタンクははずして上げてもらい。フィンは、片足を簀の子の上に満ち上げてはずしてもらい、ほとんどストレスなく上がった。ボートダイビングでは、タンクは上げてもらうことに決めている。だから、上げやすいようにBCにウエイトはいれない。
僕たちはほかのグループよりも5ー10分早く上がっている。みんなが上がるとき潮がかけてきた。引き上げるのに難儀をしている人もいる。タンクをはずすことをしないのでタンクと人間を一緒に引き上げなくてはならない。 タンクをはずしてしまうとボートから岸に上がるときに手間がかかる。この船は上がってからタンクを背負ったままベンチに腰掛けることが楽にできるように工夫されている。
流されないためのガードロープが身体に絡んでしまって、最後ははずしてしまったが、このガードロープも何か枠にして浮かした方が良いようにおもう、やってみなければわからないが、やってみる価値はある。 体力、身体能力がどんどん落ちてくるとそれを補う物理的な道具を考えるようになる。それは、体力・フィジカル能力の強い人には理解しにくい。 体力が落ちたら、ダイビングはやめるべきというのが、今までの考えだ。体力を健康と言う言葉に置き換えてもおなじことだ。高齢は病気だ。
危ないからやめる、やめさせる、高齢化の時代になり、半数以上のダイバーが60歳を越え、やがて70を越え、80を越える。ぼくが60歳の時は、ダイバーは60歳定年の議論をしたことがある。安全第一ならば60歳は限界だろうか? そのことを真剣に考えたとき、どうしても安全をとる、つまりやめさせる方向で議論が進む。このことは現在の僕のメインテーマだから、また議論するが、せっかく介護保険を払っているのだから、無駄にしたくはない。そんな風に僕は考えない。 今度の潜水も高齢の方、それでも、僕より年下のグループがいて、更衣室で僕に心配そうに聞いてきた。ここは、流れが速いと聞いているのですが大丈夫でしょうか。おやめなさいとはいわない。今日はたいした流れはないと思います。と答えておいた。たいした流れになった。何も危ないこともなかった。
![]() 石川君に新しいボートを作れて、良かったね、とお祝いを言った。古い船はストレスの固まりでした、と答えが返ってきた。 インドネシアでのエンジン停止のトラブルについて書いたばかりだったから、良く理解できた。この仕事を続けるために、このボートは必須だった。
西川名は、できたときから知っている。最初はスガ・マリン・メカニックの社員がスタッフをしていたこともある。今、富戸にいる大西はその一人だった。それからの変転、ぼくも何十回ここで潜ったかわからない。そのストーリーはまだ書けない。
次は撮影のことを書こう。
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by j-suga1
| 2016-08-22 19:13
| 旅行
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2016年 08月 20日
西川名オーシャンパークをやっている石川文明は、大学の潜水部の後輩である。後輩であるばかりでなく、卒業後の関わりは書けば長くなるので次の機会にする、というつき合いだ。
今度 立派なボートを建造した石川君の夢のボートなのだろう。僕は、この2年ばかり、2014年から西川名を訪れていない。波左間が僕のダイビングのベースになっている。潜水の目標である人工魚礁が多く、それにオーナーの荒川さんが、良くしてくれていて、心地良い。館山海域全部の人工魚礁を調べたいので、そのベースにもなっている。 しかし、新造のボートを見に行きながら、このボートでの潜水を石川君とバディでやりたいと話した。これからも僕のベースは波左間であることは、まちがいないが、久しぶりの西川名も見ておきたい。のんびりしたいので、ウィークディにしたい。仲間の山本君も同行したいと言ってくれていたが、伊豆大島に行っていて今日はNG。
村上緑は小学校3年生の時に船の科学館の流れるプールでのスノーケリング練習会にお父さんと親子で参加してくれた。夏休みの間に3回ぐらい来てくれた。浦安プールのスノーケリング教室にも来てくれて、浦安フリッパークラブという子供たちのグループにも参加してくれた。そのほとんどが欠席なしだった。その後、御蔵島にも行き、中学生になり、辰巳のプールでスクーバを教え、スクーバにも連れていった。やがて、お父さんと二人でもスクーバに出かけるようになった、僕は一年に2回ぐらいしかつき合えない。それでも2回は必ず連れて行って、高校生になり、大学生になった。 今年も、GWに、赤沢に行った。中川等と80歳80m潜水の打ち合わせものときだ。「夏休みはどこかに連れて行ってもらえますか」というMailが来て、西川名行きと結びついた。 乗り物酔いの激しい子で、いつも吐く。吐かないためには眠っている。それでもダイビングには来るのだ。嫌いなら来ない。 この前のGWの時から、お父さんと一緒だが、軽自動車を彼女が運転して、、来るようになった。
今度の西川名、もう一つの目的もあった。それは久しぶりのカメラテストである。 撮影も人それぞれである、それぞれ、自分の撮影につかうカメラ、周辺機材を買って、自分がやりたい撮影をする。やりたい目的の撮影と合致させるテストをする。チューニングともいう。 僕の場合、お台場の撮影、豊潮丸の撮影、そして人工魚礁調査の撮影だ。記録的な色彩も強いというか、調査記録そのものだ。 ブログに載せたり、フェイスブックに使ったりもする。作品をつくるとか、写真展に出すとかいうことはここのところない。しかし、自分の書く出版物には使う。もちろん調査の報告書、企画提案にも使う。 それともう一つ、「豊かな海」という水産関連の団体の機関誌の表紙も請け負っている。それが、そろそろストックが尽きてきた。ほとんどのストックはフィルム時代、ニコノス20mmで撮った写真だ。最近の動画から切り抜いた画像でも、大丈夫で、一度だけ、海女さんの写真を使ったが、見るとやはり、いま一息で、そのつもりでその為に撮ったものにしたい。西川名は撮れるだろう。
久しぶりでキヤノンEOSデジタルXの一眼レフを使う。この一眼レフは2007年頃買った。フィッシュアイのハウジングが小さかったので、ニコノスを使うような感じで使えるのかと思った。GOPROを使うようになり、ペンタプリズムの上にGOPROを貼り付けて、GOPROは動画にして同時期録するようにして使ったが、画質の点で、オリンパスのTG2とあまり変わらないので、ワイドであるTGー2の方が良くて、一眼レフは陸上専用になっていた。 そのTG-2が沈没して、ニコンのAW130になり、なかなかタフなカメラで使えるので、それで間に合わせている。
もう一度、キヤノンEOSデジタルX を復活させられないだろうか。このカメラとハウジングを購入して、そのチューニングのことをブログに書いたのが、調べてみると2007年の11月である。10年経つと、旧式も旧式である。持っているのが恥ずかしくなる。 フイルム時代、古いニコノスを持っていても、恥ずかしいことは無かった。
2007年、そのとき同時にテスト比較したのがsea&seaのDX-1Gでこれは、コンデジをハウジングに入れて、ワイドアダプターレンズをつけたものった。これは、ニコノス20mmに近い。どちらもストロボを2灯つけてテストした。 キヤノンはワイド側で18mmであり、画角がせまいが、一眼レフのファインダーを覗いて、しっかりピントを合わせて撮れば良いのか、とデータ取りを熱心にやった。 使った結果だが、時に良い写真も撮れたが、総合的にはダメのカメラで、そのくせ、水没だけはした。水没はしたが、20万もして高かったのでハウジングがあきらめきれず、。オークションで代替えを買って現在は2台め、いや3台めだろう。つまり水没2回の名誉に輝いている。油断すると沈没する。二回目の沈没はこの西川名で、往路はなんとも無く、帰路、水没している事に気づいた。
もう一回だけ使ってみよう。イノンのストロボをつけたら、ちゃんと光った。現在、光量の大きいフィッシュアイのライトが故障中で、修理見積もりをもらったら高かったので、やすくならないのかと交渉したが、返事が来ない。おかしいと思ったら、Mailがとまっていた。 ストロボを使う気になったのは、大光量ライトが壊れたせいだ。
そして、自分の将来はもう無いことから、新しい機材はもう買わないことにして、現在あるもので、どのような撮影ができるかやってみることにしている。 世の中お金に不自由しない人も多い。また、プロで、どんなに高価なものでも買う人もいる。一時の自分がそうだった。しかし、大多数の人が、持っている機材でなにができるかを模索するのだろう。
準備したカメラは、キヤノンデジタルXとハウジング、イノンストロボ、イノンライト700ルーメン2灯、 ニコン クールピクス AW130、 GOPRO2 SJ4000 SJ4000をキヤノンハウジングの上に付けた。SJは、モニターが付いているので、ファインダー代わりになるか?
8時半に西川名に到着、10時の乗り合い船だから、9時半に準備を終えて集合 冗談で、石川君にいう、新しいボートを作ってもウィークデイだったら、閑古鳥が鳴いているかと心配したけど、商売繁盛でいいね。今は夏のウィークディだが、冬のウィークディもあることを、知っている。 僕たちも入れて、お客は15人?ほどか、スタッフが多い。外国人の、たぶん、フィリピンか?のダイブマスターを紹介された。僕の面倒を見てくれるらしい。握手した。 これまで西川名に来て、いつもお客を僕が世話をしていた。世話をされるお客になったこと、少しつらい。 船に乗り込み、セットしたタンクに背中を着ければ楽に背負える。みんなこの状態でまっている。楽だけれどこういうの僕の文化ではない。すぐにブイに到着する。サイドのデッキを下ろして、水面をロープで囲い、その中に飛び込むのは、前と同じだ。あまり流れもなく底も見えているので、そのまま潜降しようとしたら、ダイブマスターにつかまえられて、ロープに連れて行かれた。これが正しいのだ。みんながばらばらに潜ったら手が付けられない。、バラバラに潜るのを、ガイドが放置して事故が起こった例をシンポジュウムで発表した。 仕方なくロープにつかまったが、途中から、先だって底に着いて待つ形になってしまった。 かわいそうに緑は僕の重いカメラを持たされて、大事そうに抱えておりてきた。 コースはいつも通りに、V字谷に直行した。イサキのトルネードが見事だがキヤノンの18ミリでは中心部の一部切り取りになる。ファインダー代わりに見ているSJ4000は、見事なトルネードが写っている。 振り返って緑でも撮ろうかとカメラを向けると、あっちだと指さす。その瞬間を撮って、これはまあまあ気に入ったショットになった。その指さす方向にカメラを向けると大きなモロコ(マハタ)18mmでは、頭しか入らない。どうもおかしい。もしかして、ズームが動いてしまったのではないか、ギアは空回りしている。何時に出港とかせかされるとカメラのチェックが不備になる。 仕方がないから、それでも一眼のファインダーを形式的にのぞいて適当にシャッターを押す。 3mmのウエットスーツで24度は寒い。早めに引き返して、モロコ岩を覗。いつもの僕のパターンだ。もろこ岩から潜降ロープまでは10m程度だ。 石川君が僕より前にでて、岩ノ下をライトでサーチしている。ダメだよ、そんなことをしたら魚が逃げてしまう。多分、彼は、ここにいた、と教えてくれようとしているのだろう。ぼくが一流のリサーチダイバーと言うことを忘れている。岩の下にはなにもいなかった。モロコ岩と言われるのは、モロコが隠れているからなのだが、このごろは、堂々と表に居て、かくれていないのかも知れない。イシダイが1尾逃げていった。 さてエキジットだが、タンクをはずしてもらってしまったので、あがりやすいかどうかよくわからないが、フィンが梯子にからむこともなく、手でつかまるところもカーブしていて、簀の子も海面と高さがおなじなので這い上がれる。タンクを着けていても上がれそうだ。及第点だろう。 続く 次回は二回目の潜水と撮影の結果について。 ▲
by j-suga1
| 2016-08-20 21:32
| 撮影
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2016年 08月 18日
沿岸漁業とダイビングのか変わりも、今の視点から歴史的に見ていくと気がつくことがたくさんあり、しかもそれは、次に書こうとしている潜水指導、Cカード、認定証の変遷、とも密接に絡み合っている。 が、しかし、ここでは、スピアフィッシングを軸とした沿岸漁業とレジャーダイビングの関わりの変遷から軸足をはずさないようにしよう。
全日本潜水連盟発足 1972年、スピアフィッシングを理由として別になっていた、関西潜水連盟 中部日本潜水連盟、日本潜水会は、社団法人日本潜水技術振興協会の消滅とともにもとの協力関係を復活させた。それに新しくPADI潜水指導協会(現在のPADIとはカードシステムは同じでも経営体が異なる。椎名勝巳が主催する「スポーツマンギャラリー」が中心になっていた。)を加えて全日本潜水連盟が結成される。スピアフィッシングは棚上げしての合同だった。日本潜水会としては、時代の流れはスピアフィッシングをすててカメラ主流になると思っていて、とにかく、一緒になることを選択した。関西、名古屋は、別に日本潜水会がスピアフィッシングをやらなくても、自分たちが勝手に やれれば良いという棚上げだった。 1973年、沖縄返還記念の海洋博が開催され、全日本潜水連盟はロレックス時計をスポンサーとして全国スポーツ大会を行い成功させる。 PADI潜水指導協会(現在のPADIとは経営基盤が異なる)も含めて全国統一組織になる。
漁業調整規則 スピアフィッシングについて、漁業調整規則は、非漁民がやって良い漁獲の方法として、水中めがねをしようしないで、やす(銛)で魚を突いて穫る方法、釣りを上げている。これは法律でよくやる手法で、香れに限りやって良い。すなわち、これ以外は禁止ということで、水中での魚突きは銛でも水中銃でも魚を突いてはいけないのだ。マスクなしは事実上不可能である。ぼくは、それが全国ほぼ同じであり、地域によってローカルな禁止事項が加えられる。
ところが、後に調べると、東京都だけが、水中銃での漁獲を禁止している、とただそれだけだ。非漁民云々ではない。1967年の段階では東京都もほぼ全国と同じだった。それが変わっている。東京都では素潜り、(潜水機を使用しないで)やす(銛)で魚を突くのは禁止ではないのだ。これが、前出のブルーオリンピックを合法的にするために改正されたものであるかどうか調べていないが、素潜りで水中銃を使用しないで魚を突くスピアフィッシングは、東京都では違反ではないのだ。ただし、漁業者の許可は必要であるが。要するに違反ならば、漁業者は許可をすることはできない。違反でないならば、地元の了解のもとであれば良いと言うことになる。違反でなければ、どこでやってもかまわない。海は漁業者のものではないと言う論理もある。これについては、後で大瀬崎に着いて述べる時に取り上げる。
1980年の真鶴半島潜水全面禁止 1962年とほぼ同じような主張を組合が言い出し、禁止になった。1962年とはずいぶん時が経っている。その間になにがあったのかわからない。というか、そのとき僕はわからなかった。要求はおなじころだったのだ。
後藤道夫のテリトリーだから、僕は関わっていない。この禁止の少し前、真鶴に潜りに行き、そのときは後藤道夫の勧めで、漁船を借りている。船頭は組合のかなり有力者であったが、仲良く、水深40mほどの深さのパッパガイを穫らせてもらった。パッパガイとはイタヤガイのことで、ダイバーが近づくと砂地からパッパと跳ね上がる。身はホタテよりも少ないが美味である。パッパガイを大量に穫って船頭にも分けてあげた。 そのすぐ後に潜水禁止である。信じられなかった。後藤道夫は知っていたのだろうが、僕が関わる話ではないと判断したのだろう。
要するに漁師に金を落とせ、船を使えということだったのだろう。 この紛争の解決はPADI潜水指導協会の椎名勝巳それに、関東学生潜水連盟も、真鶴を使うことがおおかったので、これにくわわり、もちろん後藤道夫も間に入って解決した。なぜか、僕は入っていない。そろそろ、カメラマンとして忙しかったのだ。悪いけれど真鶴のことは、後藤道夫が解決するのが筋だ。
結局のところ、 ダイバーが陸からエントリーできるのは、琴ヶ浜と、裏側のごく一部ということになった。結局漁師に金は落ちなかった。 このあたりから、問題は、漁師に、つまり沿岸漁業に金が落ちるか落ちないかが焦点になってくる。 この紛争にかかわらなかったことを今後悔している。 NAUI・PADIのスピアフィッシングにたいするスタンス
こんなことがあった。もと都知事の石原慎太郎氏が海のフアン、理解者であることはよく知られている。そして、それはスピアフィッシングを通じてのことであった。全日本潜水連盟は併せ呑んでしまっているから、石原さんのことを歓迎している。 僕の泣き所は、盟友、ほぼ親類のダイブウエイズの武田社長が陸上での熱心なハンターであり、水中でも同様、そして、世界最高の水中銃を繕うとしている。もちろん、僕がダイブウエイズには、このことで言い顔をしたことはない。見てみない振り状態で推移している。 そのダイブウエイズと石原慎太郎氏とは、ホットラインで繋がっている。 その石原氏が、豪華なヨットに乗って日本の領海のそとでスピアフィッシングをやった。そのことは良くはないけれど、個人の趣味だし、日本の外だから漁業調整規則はカバーしていないとも言える。しかし、そのアドベンチャークルーズをテレビ番組で放映してしまったのだ。 そのときのNAUIの理事長は、現在、僕のお台場潜水の相棒である。風呂田利夫だった。その風呂田のNAUIが石原慎太郎のスピアフィッシングにかみついたのだ。PADIもそれに乗った。PADIが先頭だったかもしれない。そのときのPADIはもう全日本潜水連盟に加わっていた指導協会ではなくて、PADIジャパンだった。たしか、そのときの石原さんは環境庁長官だっただろうか。日本の外だからと言って日本の規則で禁止されていることをやって、得意げにテレビで放映するものではない。陳謝を要求した。正論だから、石原さんは陳謝せざるをえなかった。 怒った石原さんは、NAUI、PADIを潰せという指令を、某団体にだした。 もちろん、そんなことで、PADIとNAUIを潰せるものでもない。 東京都で、国際競技場クラス(観覧席は不要)のダイビングプールを作り、外国のCカードは、使わせない程度のことをやれば局面は変わったかもしれない。僕は、その発想がなかったし、スピアフィッシングに反対しているのだから、だめだ。それに、まだ、石原さんは、都知事ではない。
日本潜水会は、全日本潜水連盟を作ってしまったことで、スピアフィッシングについて、アイデンティテイを無くしてしまった。と僕は思っている。その日本潜水会は、全日本潜水連盟のなかで、関東支部と名前を変え、潜水指導の場からは降りて、親睦団体となった。親睦団体となって以後30年以上、毎年恒例の忘年会をやり、大人の倶楽部であることを誇っていたが、次第に隠居するメンバーが多くなり、須賀は、その日本潜水会のメンバーに助けられて、日本日本水中科学協会を作った。スピアフィッシングにはもちろん反対の立場を貫こうとしている。
話を先に進めてしまったが、もう一度時計の針を1960年代にもどそう。 ▲
by j-suga1
| 2016-08-18 12:41
| 沿岸漁業・人工魚礁
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