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2016年 12月 30日
シンポジウムでは、いくつかのテーマのうちの一つだが、マスク式潜水機を追っていた。大串式の始まりから、山本式になり、日本ではアサリ式が1933年、アサリ式は後に旭式になり、そのライバルとして海王式、のちに金王式、大串式は世界で初めてのデマンドバルブ付きにフルフェースマスク、デマンドバルブとして、スクーバのセカンドステージを付けた、フルフェースマスクは、日本では須賀のテスト(1962年)が最初であった。後に1986年からは、水中レポートをダイブウエイズが作るマスクでやるようになり、日本アクアラングのF型、マンティスフルフェイスマスクなどができ、外国では、アガのマスク、石油掘削リグの作業などでは、重装備のフルフェイスマスクが使われ、カービーモーガンのバンドマスクが大きなシエアを占めている。
フルフェースマスクは、フリーフロータイプとデマンドタイプに分かれて、現代では、デマンドタイプのフルフェースマスクが作業潜水の中心になっている。 現在では、フリーフローのマスク式潜水式は時代遅れになり、製造するメーカーもなくなっている。それを復刻しようとしているのが、前回紹介した、沖縄の杉浦さんだ。 シンポジウムでもお話ししたし、報告書にもかいたのだが、大串式から山本式へのマスク式は、まず、泳ぐ潜水機としてつくられた。 ![]() 一方、沖縄で旭面とよばれているという旭式マスクは、1933年アサリ式として、浅利熊記氏が、重装備のヘルメット式潜水機に対応して、軽量、軽便であることを目標として作った。軽便を目指したから軽便マスク式潜水機として、長らく潜水士テキストにも、一章を設けられていた。 潜水機の発展進化は、いかにして空気消費量を少なくするかを目指す。ヘルメット式の大きな兜は、内容積が大きいから、換気して、炭酸ガスを洗い流す為には、多量の空気が必要になる。 顔を覆うだけのマスク式潜水は、顔を覆うだけだから、内容積が小さく空気消費量がちいさい。 口にホースをくわえるマウスピースはさらに内容積が小さい。大串式は目と鼻を覆うだけの小さなマスク式潜水だから、顔全体を覆うよりも内容席がちいさい。 1930年代、山本式の全盛で、アサリ式のつくられた時代だが、空気は、手動の送気ポンプで送られた。深く潜ろうとすると送る空気の圧力が高くなる。高い圧力、すなわち強い力で押さなければ空気が送れない。天秤式のポンプは、何人もの人が押す。水深80mなどというと、10人程度で押したのではないだろうか。100馬力(HP)とは、100匹の馬で引っ張ったりする力だ。10人は、10人力である。 山本式、大串式は定置網の潜水などにつかっていたから、30ー40、場合によっては60mまでも潜った。4人力ぐらいで押したと思われる。 アサリ式はせいぜい20mぐらいまでを、できるだけ小さいポンプで、できれば、自転車の空気入れポンプていどで潜りたい潜水機として開発された。深く潜るのとは別の意味で送気量を少なくしたい。 アサリ式はヘルメット式潜水機と同じような潜水を軽便にして、空気の消費量を押さえたいという目標で開発された。大串式、山本式は泳ぐ潜水機だから、いまのアクアラングの元祖であり、マスク式潜水は、ヘルメットの小型軽便化を目指した。 使われる現場では、この軽便マスク式潜水も泳ぐ潜水機としてつかわれるようになるが、開発の目標は異なる。 アサリ式は空気の消費を押さえるために、ダイバーが息を吐いている時に送られる空気を袋に貯めておいて、次に吸い込むときに、袋の中の貯めた空気と一緒に吸い込めば、空気の消費量が少なくて済む。 この袋は空気の消費を少なくするのに役だった。しかし、マスクから空気を逃がしてしまったら効果が少なくなる。吐き出す空気以外の送られてくる空気は逃がすわけには行かない。マスクを顔にぴったりと合わせて固く縛ることになる。しっかりと縛れば顔が痛くなる。 やがて、小型のコンプレッサーが普及して使えるようになると、無理をして空気の節約をしなくても、フルフェースマスク、面は、兜よりも内容積が小さいから、別に呼吸袋を付けなくても空気量は充分になった。袋もいらないし、顔に固着させる必要もない。逆に、緩く顔につけて、マスクの縁から空気を逃がすようにして、排気弁を省略してしまった。海王式、後に金王式マスクである。 旭式は、佐藤賢竣さんが社長、金王式は岡本さんという方が社長で、東亞潜水機時代のぼくは、どちらかと言えば、東亞で、コンプレッサーを買ってくれていた金王の岡本さんと親しかった。旭は、東亞潜水機のライバル程度まで大きくなっていたので、営業力も強かった。 旭の佐藤さんは、政治力も強いひとで、潜水士の規則を作るのに大きな影響があった。海中開発技術協会でも僕が理事当時に、副会長であったりして、親しくはあったが、会社としての営業的には敵味方だった。ただし、旭式には、一学年下の遠藤とか、潜水部、かなり後輩の島くんなどがお世話になっていたので、仲良くはしていた。 伊豆半島は金王式の岡本さんの営業地盤であって、テングサの採取などは金王式が主に使われた。 実はここまで書いてきたことは、シンポジュウムの報告書にも書いたことであり、前置きのようなものなのだ。 杉浦さんが撮った、クラウド・ファウンディングの映像を見ると、旭式、旭面なのに、盛大におでこのあたりから、空気を逃がしている。手押しポンプを使っているわけではない。コンプレッサーで送気しているのだから、空気は充分ある。マスクを固く縛る必要はないのだ。そして、旭面をつかっているおじいは、おでこから漏れるので、視界を妨げないのが良いなどといっている。 ![]() ![]() 設計意図とは、全く違う使われ方をしていて、その使われ方が道具になっているから、他とは代え難いことになっている。 ダイビングのフルフェイスマスクについて、道具になっているということは、身体の一部、顔の一部になってしまうことだから、理屈ではない。潜水機の進化とは別に、道具としての潜水機をかんがえさせられた。 フリーフローのマスクではなくて、デマンドバルブ(レギュレーター)を通して呼吸するマスクは、フリーフローは、致命的な故障である。大事な空気が飛んで出てしまう。あまり深くもない、空気の節約が大事ではない環境であれば、フリーフローは快適である。マスクを顔にきっちりと付ける必要もなく、適当にかぶればOKだ。 なにも、旭式の復刻でなくても、適当なマスクをフリーフローにしてしまえば、それでも良い。 ただ、旭式、沖縄でいう旭面が、うみんちゅーのオジイの道具になってしまっている。復刻しなくてはならない所以だろう。 モズク漁の彼らも道具として納得できるようなもので、汎用性のある軽量のフリーフローのマスクを作ったらどんなものだろう。そんな話をシンポジュウムの後で、杉浦さんと話をしたかったのだが、東京になにか別の約束があったらしく、話ができなかった。 とにかく旭面の復刻、成功を祈ろう。 ▲
by j-suga1
| 2016-12-30 23:30
| ダイビング運用
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2016年 12月 29日
☆今年のシンポジュウム、マスク式を追って、その最後で、沖縄のモズク漁について、旭式マスクでなければ困るという漁師さんの話をしてもらった。浅い水深での作業だったら、コンプレッサーから送る空気が充分だから、デマンドバルブ(フーカーのレギュレーター)がないほうが、苦しくない。いくら良いレギュレーターでも素通しのフリーフローよりは呼吸に抵抗がある。事実フリーフローに近くして使っている人も少なくない。 だからライトウエイトのマスク式として、旭式の復活もありかもしれない。しかし、ローカルだから、大きな資金を用意して製品作りをすることが難しい。このごろ流行のクラウドファウンディングをやりたいという。その紹介がシンポジウムでできなかったので、拡散してくださいという要望があった。 https://readyfor.jp/projects/ ![]() 日記 片づけものをして、ブックオフにスーツケースⅡ入れて本を持って行く。1200円也、600円ぐらい本を買った。
午前中で一段落したので、午後からは読まなくてはならないものを読んで、じっくり考えることをはじめようか、と考えた。もう、世の中は御用納めだから、こっちも納めて良いだろう。年末から三が日、4日までスケジュールがあいている。その間にじっくり考えて、新しい年の計画をたてよう。 ①お台場 これは、多難だ。自分の計画ではない計画とのスリ合わせをしなければならない。まずく行くと、自分の計画が終わってしまう。終わらないように、自分のスタンスを確立しておかなくてはならない。 ②最新ダイビング用語事典Ⅱ 池田知純せんせいから、論文「高気圧作業安全衛生規則の問題点」が送られてきた。ざっと読んだのだが共感する部分が多かった。最新ダイビング用語事典Ⅱと絡めて、考えをまとめてえ、送ろう。最新ダイビング用語事典の潜水医学、減圧症にかかわる部分の、おおよその構想をまとめて、池田先生に送る。そんな形でまとめる。 そして2017年のシンポジュウムは、高気圧作業安全衛生規則 についてレクリエーションダイビングとの関係 問題点 そんなテーマにしようかと思いついている。
昨日図書館でかなりたくさん借り込んだのと、今日のブックオフでの買い込み、読んでいる時間がない、くらいに仕事ができれば良いのだけれど、やはり、楽しみの読書をしてしまうだろう。
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by j-suga1
| 2016-12-29 17:49
| 日記 ログ
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2016年 12月 28日
日記以外に書く気にならないので日記、 2016年の終わりまで、残すところ3日になった。 年賀状、今年はもうやめようかとも思ったが、賀状だけになったおつきあいというのも大事にしなければいけない。生涯の一時期、親しくさせていただいた。意気投合した。一緒に仕事をして、賀状をやり取りするようになった。一期一会という言葉がある。歳をとるとともに次第に重くなってくる言葉だ。やはり、賀状を出さなければ、気持ちよく賀状を受け取れない。 もちろん、親しい仲であればあるほど賀状は省略する傾向にあるから、別に賀状がなくても、お目にかかってご挨拶をすぐにするような方は御免蒙ってしまうことが多い。だいたい、毎年200枚位をめどにしている。住所録への登録は2000ぐらいだから、だいたい十分の一だ。 そんなことで、今年も200枚 作ることにした。基本は2016年にいただいた賀状に返事を出す形、プラスαである。知人を増やす、人脈作りのために頂いた名刺で、さらに親しくなりたい方に出していたこともあったけれど、それでは、際限もなくなってしまう。今更だから、頂いたら返事を出せば良いだろう。 PCとプリンターがあるから、賀状が栄えているのかもしれない。いちいち宛名を手書きにしていたら、200など大変なことだ。手書き、毛筆の時代には本当に特別の付き合いでないと出せなかったのだろう。だから、今の形、100枚を超えてだす賀状の歴史はそんなに古い昔からのものではないのだろうか?。 そのプリンターの調子が悪かった。簡単にできると思ったのだが、すぐに、印刷されないままでてきてしまう。はがきの厚みがいけないのかもしれない。これで、2時間ぐらいかかって、50枚も印刷できない。事務所のプリンターは、諦めることにした。自分の部屋に戻って、やって見たら、スムースにできる。事務所のプリンターは、キャノンのPIXUSだ。部屋のプリンターは、インクよりも安い、やはりPIXUSだがIP2700だ。出来上がりも遜色ない。今度インクが失くなったら、事務所もIP2700にしてしまおう。 そんなことで、はがきを2種類用意できた。これも失敗で、個人と、オフィシャルを分けて、100づつにしたら、個人が圧倒的に多いのだ。個人だけにしておけばよかった。まあ、良いだろうということにした。次の失敗は、さて、宛名を印刷したら、自分の住所も一緒に印刷できてしまう。原稿の下に、住所を入れているのが、無駄だった。でも作り直すわけには行かない。そのままにした。 およそ2日がかりで作って投函したら、どっと疲れがでた。 気を取り直して、事務所に行く。一日に一回は行って、郵便物と届け物を確認する。嬉しいことに、数日遅れのクリスマスプレゼントということで、「チョンモランマ」というあたたかそうな シャツの上下が息子から届いていた。ドライスーツのインナーのキルティングの上に重ねよう。今年の冬の海はこれで◯かな。 図書館に回って、正月に読む本を借りる。収穫は、「
古石場図書館は、小津安二郎監督の特別展示がある。何回か覗いたことがある。写真撮影禁止だから写真で紹介できないが、「小早川家の秋」 の大きなポスターが、見たかなあ?これが1961年で、遺作、1963年に60歳で亡くなっている。 60歳で一区切りなのだ。 自分は1月25日に82歳になる。「80 代になると、近い将来に険しい峰、深い海を目指したくなるものなのです。」 年賀状の結びに書いたセリフです。 ▲
by j-suga1
| 2016-12-28 20:34
| 日記 ログ
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2016年 12月 26日
海に行ったときは、「海に行ったときの日記」とタイトルをつけよう。 海に行くと行ってもこの数ヶ月、月例のお台場だけだ。 6時に目覚める。8時には鈴木と待ち合わせ手居る。毎度だけれど、寝起きは気分が乗らない。エンジンが始動しないうちに走り始める気分だ。
寒い。雨も降りそうだ。鈴木君は、雪も降るかもしれないと言う。ドライに着替える。山本さんは、暖かそうなインナーを着ている。水没しても寒くならないのだという。僕が寒さに震えているのに、暑いくらいだとか。買おうかな、いくらぐらいか? 4万円くらいだとか。僕のインナーは、土木作業員の着るキルティングのつなぎ、長袖だ。ダイビング雑誌で見たことがある。キルティングは、ドライのインナーには不適だと。でも、僕はこれで、流氷に潜っていた。斜里の洋品店で買ったのが最初だったかな。一緒にいつも潜っていたのは、テレビのロケでは、いつも西沢邦昭君だった。余市にいて、夏はホッケの 産卵を一緒に追った。最後に一緒に潜ったのが65歳の時だから、もう15年の時間が流れた。今でも年末に「たらこ」を送ってくれる。今年も送って頂いた。もう、僕が流氷に潜ることなど、無いだろうが。 そのキルテイングの長袖ツナギの上に薄手のナイロンのセーターを着る。 少し下着が増えたので、ウエイトを増やす。ウエイトジャケットは7キロで、きまりだから、ベルトを4キロから、6キロに増やす。これ以上は増やさない。なにしろ水深が、1m、深くて2mなのだから、ウエイトは重くなる。いつもはレッグにウエイトを巻くのだが、今日は、マンティスドライフィンにした。 スプリングのストラップが付いている。 波打ちぎわで、一人でフィンを履けた。後ずさりして、膝まで入り、膝立ちになって、マスクを着ける。マスクマウントにカメラはSJにした。手持ちカメラは、TG4にワイドアダプターを付けて、イノンのライトが二つ付いたステイに載せる。フィッシュアイのライトは修理に出してそのままだ。忘れられているらしいけど、催促しない。 スノーケルを咥えて腹這いになった。ドライの空気を抜きながら泳ぎ始める。弁付きではないダイブウエイズの黒いただの筒スノーケルだ。素通しだから、呼吸が軽い。水面でバランスが良いので、オリンパスで動画を廻して撮りながら泳ぐ。液晶を通してみる水中はきれいだ。何もいない。マガキが元気良さそうに生きている。水深は50cmぐらいで、カメラの位置は、水深30cmにある。親指の爪ほどもないヒライソガニが、ちょろっと動いて隠れる。 気持ちよく泳ぐ。このまま、目的の杭まで、行ってしまおうかとも思ったが、沈 むことにした。水深は1m。スノーケルをレギュレーターにくわえ直すと、少し抵抗がある。ダイブウエイズのセカンドで、最高に軽いのだが、素通しのスノーケルよりは抵抗がある。今更のように、なるほどと思ったりする。もちろん、苦しいというレベルではなくて、数回呼吸すればなれて、気持ちよく空気が流れてくる。そう、空気が流れてくるのだ。 真牡蠣が一面に広がっている。生きている個体が多く見える。一年で交代するサイクルを繰り返して居る?のだから死に殻の方が多くて当然なのだが、勢いの良いときは生きている個体が多く目につく。勢いなのだ。牡蠣の勢いが強く、汚らしく見える付着生物が全く見えず、きれいだ。死に殻もきれいで、殻の中で動くものが。殻は、蟹や、ギンポの住まいになっている。ギンポの姿はない。小さなイソガニが隠れている。何とか殻を開けないで撮ろうと努力するが撮れない。 最終ターゲットの杭の列まで行くが、魚の姿も、イシガニの姿も見えない。 イソギンチャクがきれいだ。種類名は、チギレイソギンチャクと記憶しているけれど、記憶である。種類名はすべて記憶なのだ。本当のところは、採集して同定しなければわからない。同定は、専門家にならなければ、できない。イソギンチャクの類は、何種類もいないから、確実に覚えておけば良いのにとも思う。 きれいだな、と思えば、きれいに撮ろうと思う。何枚かシャッターを押す。 赤いのは猩々ケノリ、種名はカナが定めだが猩々と書くと、ああ、歌舞伎の猩々か、とわかる。しかし、これも、誰かに教えてもらった記憶だ。 イソギンチャクをきれいだな、と思うのと、公園の落ち葉のモミジをきれいだと思うのと、どうちがうのだろうと思う。潜水していることが違う。冷たい。身体のバランスをとって浮いていなくてはならない。そのことが、ものを見ることについての違いになる。のだろうか? ?マークが多くなる。 水温は水面で13度、2mの底で14度、寒くなってきた。せっせと泳いで帰ろう。 大きくて重い、マンティスドライフィンは気持ちの良いバランスだが、足を浮かしてのフロッグキックができない。できにくい。このフィンが設計された時は、フロッグキックは視界に入って居なかったのだろう。
今日は珍しく風呂田教授が来ている。正確には東邦大学元教授だ。東京湾の生き物研究に生涯を通して携わっている研究者だ。風呂田を前に出せば水戸黄門の印籠的効果がある。印籠を出しても、何も解決はしないけれど。このところ、江戸川河口の干潟に関心が移っているので、こちらにはあまり来ないが、風呂田と僕で、この潜水、東京湾水中生物研究会をはじめた。 東京湾潜水の来歴を話せば長い話になるが、 僕、須賀と、須賀潮美と、風呂田先生、三人が中心で東京湾潜水探検隊というグループを作った。風呂田が隊長で、潮美が副隊長僕が世話役となった。ニュース・ステーションの延長線上で作り、電通映画社の神領プロデューサーが応援してくれて、21世紀を前にして、東京湾の自然環境、もちろん、潜水して見る自然環境だが、それを探検しようということだった。 まず、富津岬に潜水した。東京内湾と、外湾の境目に当たる。 そして、その頃、千葉港にビッグドッグというダイビングポイントができた。千葉港駅に近い千葉港に、造船の不況だとかで造船場を止めたドッグがあった。ドッグに水を引き込んで、船が入り、水を抜いて船の修理をするドッグだ。そのドッグに水を張って、浄化装置で水を浄化して、魚も泳がせて、人工のダイビングポイントにしようという試みだった。まずまずの評判を集めていたので、とにかく行ってみようということになった。 僕の記憶では、この潜水探検隊で、潮美が一緒に潜った、ただ一回のことだった。 そして、驚いたことに、その時、ついこの少し前まで、テレビ朝日のディレクターで、ニュース・ステーションにも関わりのあった増子さんが、テレビ朝日を辞めて、そのビッグドックでチーフダイバーをやっていたことだった。増子さんとは、今、タイのタオ島でダイビングサービス事業をやっていて、僕たちの間では、有名になっている人だ。 そのビッグドッグは、増子さんがいうには、水の浄化装置が予定通りに働かなくて、失敗したということだった。僕たちが行ってから半年もしないうちに閉鎖になった その時の写真を探しているのだが、どうしても見つけられない。 その東京湾潜水探検隊の行事として、お台場にも潜水して、そのまま風呂田先生と僕がお台場の潜水を続けることになり、やがて、東京港水中生物研究会になった。なぜ、唐突にそんなことを書いたかというと、つい先日、増子さんとその当時の話をしたのだった。 そして、僕が近くのコンビニでパンを買って、お昼を食べていると、なぜが、風呂田先生が、僕に肉まんをくれた。なぜだか分からない。あまり、最近、お台場に来ないので、そのエクスキュースだろうか。なんだかわからない。彼に食べる物を頂いた記憶もこれまでにない。がありがたく頂いた。その風呂田さんと、話し合う。「お台場もめっきり良いものが少なくなったね」「季節的にも少ないときだけれど、昔はこんなにシーンとした感じではなくて、何か賑わっていた。」「そうだね、東京湾潜水探検隊の時分よりも、ずいぶん少なくなった。江戸川の河口はどうですか」「東京湾全体で少なくなっているみたいだね。」「なぜだろう。」「わからないけれど」 朝、曇で雨、雪の心配をしていたのだが、日差しが射して来た。お日様がでると、嬉しくなる。ボンボンベッドを持ってきていれば、昼寝をするのだが、持ってきていない。ブルーシートの上に、カメラバッグを枕にして、横になった。何分ぐらい寝たのだろう。30分ぐらいか?仰向けの状態で目覚めて、目を開くと、雲一つない青空だ。本当に雲一つない。 朝方寒かったので、今日は一回だけの潜水と心に決めていたが、もう一回潜る気になった。海と言って、こんな海なのだが、僕が海に潜れる数少ない日なのだ。 尾島さんの奥さんが潜っている。あと、東邦大学の多留さんと海洋大学の依田くんが潜っている。時計を見ると、2時少し前だ。30分潜って上がってくれば、後片付けには間に合う。急に元気よく、潜り支度をした。今度は、フィンをドライフィンではなくて、いつものトライスターにしよう。ストラップが緩かったので、ワンノッチづつ短くした。持って入るカメラはGoPro2にした。動画を撮る。遠くまで行かないで、砂浜周りを見て回ろう。 砂地の近くにいるスジハゼを撮影する。スジハゼだけしか今日は魚が見当たらない。接近すると穴の中にパッと入る。かなりの数がいるので、撮った。 ヘドロの上も撮ったが、水が濁ってしまっている。お台場は、浅い磯場は水がきれいだが、中心のヘドロ場は、何時も濁っている。濁ったヘドロの上も一周りして、上がった。 砂地に膝を突いて考える。フィンを脱いで、小脇に抱えてスックと立ち上がり、スタスタと歩いていこう。そんなイメージを頭に浮かべた。何時の昔のことなのだ。でも、やってみよう。歯を食いしばるようにして立ち上がり、よろけないように、して歩く。なんとか転ばないで、エキジットできた。 ▲
by j-suga1
| 2016-12-26 17:45
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2016年 12月 22日
12月18日、およそ半年、時間をかけてきたシンポジュウムが終わった。今日は22日で、昨日21日にご苦労さん会をやった。 あと、年末まで、指折り数えると、9日間だ。その9日間にやるべきことが無数にあるような気がする。全部メモにしないと、なにをしようとしているのか忘れてしまう。 今年は、年賀状を暮れに書くのは無理だ。正月の三日間にやることが特にはない。その三日間で、落ち着いて年賀状を書こう。返事の形で年賀状を書こう。書くのは、150枚限定にしよう。いや、返事を書きたい賀状がそれよりも多かったら買い足す。 シンポジウムその他、今年のことでこちらからお礼を言わなくてはならない方には、年末、除夜の鐘がなるまでに書いて、「良い年をお迎えください」と書いて。報告書添付で、メールで出すことにする。これが必須だから、賀状を先にまわす。 ▲
by j-suga1
| 2016-12-22 07:38
| 日記 ログ
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2016年 12月 21日
マスク式潜水機の歴史、レクリエーショナルダイビングには関係ない。シートピア計画、これも過ぎた歴史の一コマ、今のダイビングには何の関係もない。一般のダイバーが興味を持たないマニアックなテーマであり、集客の反応が少ない。それに募集の開始もでおくれた。皆様にはメッセージなどしつこく送って顰蹙を買うかもしれないでも、とにかく何をやるかだけは知っていただきたい。 最悪、50名程度で、月例のワークショップに毛の生えた程度でも良いか。それならそれで、おいでになった方一人ひとりとのコミニュケーションが密になる。 久保さんと話した。何人おいでになるかということよりも、誰が来てくれるか、ターゲットを絞って、早くからお知らせしなければだめだね。この反省は今もしている。そのレディネスがなかった、 12月4日、室内選手権大会の時点で、61名だった。80名にはしたい。最後の追い込みだ。室内選手権大会では、シンポジウムの勧誘に終始した。 海洋高校の感触があり種市高校の先生ともお話ができた。文科省の担当も、まあ、後輩ではあるのだが、行く努力をすると言ってくれた。海洋高校卒の弁護士松村房弘先生もおいでになる約束をしてもらい、沖縄水産高校の寺瀬先生も来ていただけた。誰が来ていただけるかという点で、大きな収穫だった。というのも最新ダイビング用語事典Ⅱを作るにあたって、海洋高校、種市高校にスペースを割こうと思っていたからである。 結果として97名の参加、満席になり、後ろに椅子を置いたりした。 シートの後ろに空間を作って展示にしたことも良かった。参加者が展示を見るのに楽だったし、よく見られた。今後の恒例にしようと考える。 自分の発表と、スピーチ、で時間配分調整をしたのだが、これも一応納得できた。 山田さん、久保さんの発表も、自分は耳が聞こえないので、聞こえなかったが、皆さんの反応は良かった。 来てくれた方 80%の満足はしていただけたのではないかと思う。 自分としては次に繋げる感触を得ることができた。何時までできるか?だが、できなくなったときにも、次に繋げるバトンになれば、良い。
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by j-suga1
| 2016-12-21 12:44
| 日本水中科学協会
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2016年 12月 20日
週刊朝日 12月30日号に、お台場の潜水について、インタビューを受けた記事が掲載された。週刊誌がどんなものか知っているから、遠慮したかったのだけれど、計画に援助をいただいている筋からの紹介であった。
![]() 「東京五輪トライアスロン会場 リオ笑えぬ死骸と大腸菌の海」 そんなこと、言っていないのだが、タイトルをつけるのは、週刊誌だから、どうにもならない。 きれいな海であることを強調して、これでよいのだということもできない。 「この20年で海中の環境はどんどんわるくなっています。マハゼやイシガニなど生物の数は減っているし、環境汚染に伴う青潮などの影響か、夏には海底近くが無酸素に近い状態となって、会などが死滅する現象が起きる。近年増えた外来生物のホンビノスガイなどの死骸が累々と折り重なります。」 どんどん悪くなっています。とは言っていないし、このようこのような言葉では語っていない。自分の言葉が、変えられるのは、困るのだが、2012年にホンビノスが青潮で斃死したことは間違いない。その時の写真を報告書に載せている。環境問題を語るとき、写真は大きなインパクトがある。ことさらに、斃死の写真を強調していることはない。復活した写真も報告書に乗せているが、報告書を見せれば、週刊誌の記者は、斃死の写真に目が行く。 1990年代に比べて、生物の種類数は減っている。マハゼは東京湾で激減しているし、イシガニはこの数年少なくなり、特に2016年は、ほとんど見られなかった。2012年に青潮でホンビノスガイが斃死したが、2015年には復活した。しかし、来年、青潮が来ないという保証もない。週刊誌記者がまとめれば、こういうことになる。そして、間違いではない。 「競技に直接支障はないでしょうがイメージの問題はあるでしょう」 競技に支障があるといわせたかったと思うけれど、それはトライアスロン選手の考えで決めることで、僕たちの潜水に支障がないのだから、問題ないでしょう、といった。これはそのままになっている。 「夏と言えば、まさに東京五輪の開催時期。リオ五輪ではリオ沿岸の海の汚さが話題になったが、日本もよそ様のことを笑っている場合ではない。 問題はまだある。都が2013年にまとめた環境調査では、この付近の海中で、国の水浴場の基準値(100ミリリットル当たり1000個)を超える糞便性大腸菌群が検出されているのだ。「大腸菌の値は、普段は基準値以下ですが、大雨のあとなどに下水処理場の能力が追い付かなくなり、汚水がそのまま放出されるために、一時的に高くなる。この状況は今も改善されていません」(前出の須賀氏) 東京都五輪・パラリンピック準備局に尋ねると「徐々に、下水処理場の貯留槽を増やすなどの対策をとっており20年までには改善が期待できる」とのこと、一方青潮などによる生物の死滅については、都の環境局の担当者が、「普段から、赤潮や青潮の原因となる海水の冨栄養化を抑制するため、排水の規制などに継続的に取り組んでいます。」と説明したが、今のところ五輪に向けて特別に手をうつ動きはないようだ。前出の須賀氏はこのように語る。 「赤潮や青潮の問題は簡単には解決しないでしょうが、数重メートルおきに、酸素を供給する生き物の避難所をつくるなど、局所的な対策も考えられます。せっかくの東京五輪なのだから、競技をして終わりではなく、これを機にきれいな江戸前の海を復活させて、世界にアッピールできるようにしてほしい。」東京はハコもの以外のレガシーを残せるのだろうか。 タイトルでは、誤解を招くだろうが、それが週刊誌の目的なのだと、割り切れば、 まとめの部分では、だいたい、言った事とあまり違わない。 シンポジウムでも話したのだが、僕たち、ダイバーが潜るということが、環境改善につながれば、と願っている。 ▲
by j-suga1
| 2016-12-20 14:59
| お台場
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2016年 12月 16日
初期の後藤アクアティックスにいた志○君の娘さんと言う人からメールが来た。昔、ロケに参加していた「マチャアキ海を行く」VTRで採っていたのが、しまいこんでいるうちにカビでだめになってしまって、お父さんが見たがっている。僕のブログを見たら、後藤さんを偲んでマチャアキを上映したと書かれていたので、買いたい、譲っていただけないだろうか、ということだった。
癌の手術をされたとかで、元気づけたいということだった。彼とはあまり一緒に潜ったことはないのだが、いくつか印象にのこっている。良いダイバーである。そして、とても良い手紙で、娘さんのやさしさがうれしい。もちろん、差し上げます、でも、お礼とか考えないでくださいと返事をして、探した。ウツボ君の曲芸、変身海の蝶、ウミウシの色分け、なまこのおなら、4本見つけて、取り込んで、送った。 ![]() マチャアキ、送ってしまった後だったのだが、そうだ、クリスマスプレゼントにしますと言って送れば良かったかな。 ▲
by j-suga1
| 2016-12-16 23:53
| 日記 ログ
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2016年 12月 16日
展示企画の計画段階では考えていなかったのだけれど、フルフェースマスクの流れを追って来たら、現在現在形のフルフェースマスクについても展示する形になった。現在形と言いながら、バンドマスクは1970年代からの歴史がある。
これらについては、JAMSTECにほとんどのタイプがそろっていて、借りだしてお話をと言う考えもあったが、大事になってしまうので、見送った。 できる範囲ということで、ダイブウエイズは、一代前のものち現在のもの、ゼロからマンティスフルフェースマスクを借りた。 JAMSTECの、僕たちがプライマリーコース講習のために借りていたプールの階下、回廊のような廊下の部屋に置いてある。保存状態は余りよいとは言えず、用済みになったがらくた風である。きちんと展示したら、と残念になるが、JAMSTECとしては、もうがらくたの部類なのだろう。船の科学館の展示が復活したら、もらい受けても良い。東海大学清水にある博物館でも良い。しかし、まだその時期ではないのだろう。JAMSTECの資料館には置くつもりはないようだ。それとも、すでに一度は展示したもので、資料館から下がってきたのかもしれない。ほぼすべてのマスクのポスターが、プールに飾ってあり、その写真を撮ってある。 。 ![]() 中で一番ポピュラーなものがカービーモーガンのバンドマスクで、これはスガ・マリン・メカニックでも所有していたことがあり、僕もこれを使っていた。実際は他のマスクを使ったことがないと言う表現の方が正しいだろう 東亞潜水機のカタログにも掲載されており、大概のダイバー会社が持っている。 ![]() このカービーのバンドマスクとほとんど同じ機能を持っていて、かなり軽量で、使いやすいマスクがダイブウエイズのマスクであり、僕が今現在使っている。重要なことはサイドバルブを持っていることである。サイドバルブとは、マスクの側面に取り付けられていて、送られてくるガスの切り替えができるバルブである。ダイブウエイズのサイドバルブも悪くはないが、カービーのような実績はない。混合ガス潜水が目標のマスクではないからだが、悪くはない。 ![]() 一般の作業潜水に多く使われているのがマンテイスのフルフェースマスクで、一般のダイビングでのベストセラーであるマンテイスに継ぎ足してフルフェースマスクにしたものである。サイドバルブの機構を二階建てのように次ぎ足したものもあるが、継ぎ足しである。 ただ、すべてのダイビングギアと同じように、フルフェースマスクも使い慣れたものがそのダイバーにとってのベストになる。身体と一体、自分の身体の一部のようにならなければ使えないので、ダイバーは、保守的、特にプロダイバーは保守的である。 現在の時点では、ダイブウエイズのフルフェースマスクがこのクラスでは、世界最高だと僕は思っているが使い慣れていること、そしてセカンドステージの性能が良いからである。 フルフェースマスクをクラス分けして、カービーを重量級、マンテイスフルフェースマスクを軽量級として、ダイブウエイズは、軽量級でありながら、重量級の機能を持たせたものと考える。もうひとつ、ダイブウエイズのマスクが他の追従を許さないのは、顔の全部が外から見られることである。これは、このマスクがニュースステーション、須賀潮美の水中レポートシリーズのマスクとしてつくられたからで、現在、世界でテレビ番組、映画などはすべてこのマスクで撮影される。カービーもマンテイスもレポーターの顔は見えないのだ。その上で使いやすい大きさで、デマンドレギュレーターの性能も良い。 ただ、個人的には、ダイブウエイズの先代のフルフェースマスク、サイドバルブが着いていない純軽量が好きだが、ガス交換ができない。 これで、ずーっと続けて読んでもらうと、日本におけるマスク式潜水の歴史、沿革がわかってもらえるのだが、あんまりレジャーダイビングとは関係がないと言われそうだが、レジジャーダイビング、レクリエーション ダイビングがダイビングのすべてではない。 人数的には、レクリエーション ダイビングが断然数が多いが、生産する産業的には、マスク式潜水がダイビングの主流、中心である。 ▲
by j-suga1
| 2016-12-16 16:48
| 日本水中科学協会
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2016年 12月 14日
18日のシンポジウム、申込みを集計してもらったら、61名、ちょっと少ないから80名にしよう。でも考えた。来られた方、みなさんとお話しようとしたら、60でも多すぎる。それぞれ、大事な方ばかりだ。どうしよう。中でも自分として、こちらから、じっくりお話を聞いてもらいたい人、相談したい方が10名はいる。 僕と話をしたい方、相談したい方も、いるだろう。 多分80名以上になるだろう。楽水会館の定員が93だったはずだ。
60名、いや40名の人と、ダイビングの話ができたらとても嬉しい。でも、この一年にシンポジウムに向けて費やした時間を考えると、もっと、たくさんの方に見てもらいたい、来てもらいたかったりもする。 しかし、費やした時間と言っても、ダイビングに費やしたのならば、自分のため、自分の勉強になっている。ここまで来て、自分の間違っていたところがわかったりする。身動きする、調べてみると、間違っていたことがわかる。81歳で勉強しているって、偉いのかもしれないと、ふと思ったりする。人に見てもらうということは、ともかくとして、自分が学んでいる、講演する人、準備する仲間と一緒になって勉強している。それに見に来てくれる方が参加している。 フルフェイスマスクの元祖、デマンドバルブの元祖である、大串式を展示して、そこから、マスクを並べて来たら、意図しないうちに、フルフェイスマスクの始めから今までの展示になりそうになった。過去から現在、そして今後の近未来に連続する。もっと、意図すれば良かったか?最初は、今、見られない状態になっている船の科学館の展示が、本来の展示よりも、目近に見られれば、そんなことから計画がスタートした。 レジャーのダイバーにフルフェイスマスクはなじまないけれど、プロのダイビングはフルフェイスマスクが、中心なのだ。手にとって見ておくくらいのことは、ダイバーとして、やつておいたほうが良い。と現今の主力機種であるマンテイスフルフェースマスクも並べることにした。
プロのダイバーにとっては、大串式を触れるのは、休日のひとときとしては、悪くないだろう。 講演は良いから、展示だけみに行こうと言う方もどうぞ来てください。今からでも間に合います。 展示についての、講演というか説明だけど。もう一度、日本のライトウエイトマスク、軽便式を考えて見ることも提案している。旭式、金王式が無くなってしまうことは、それを道具として使っている漁師にとっては、困ることだ。復刻して生産しようとしている沖縄の杉浦氏が、このマスクを使って仕事をしているモズク養殖の映像を見せながら話してくれる。 最初は軽く考えていたのだが、計画を進め、展示が実現していく間近になって、これは大きな問題なのだと実感してきている。 ▲
by j-suga1
| 2016-12-14 09:32
| 日本水中科学協会
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