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辰巳国際水泳場での練習会日程などを発表しているURL
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2015年 01月 08日
月刊ダイバーの連載、原稿を送った。1986年、僕が51歳、第三コーナーを回って、鞭を入れた時だ。僕は競馬に詳しいわけではない。何もわからないけれど、多分そういうことだろうと思う。
ちょうどそのころ日記を書いていたので、記憶を克明によみがえらせることができる。グラフィティは、現在の時点から振り返って、昔を懐かしむ物語だから、時というフィルターで濾されて、嫌なこと、辛かったこと、苦しいことは消えている。日記を見ると、それが全部思い起こされる。だから、面白い。冒険ストーリーとしてもおもしろ。だから悩んでしまった。しかし、雑誌の原稿は限りがある。 数日前、1986年に起こったこと、やったことを時系列にそって、このブログにのせた。それを全部書くわけには行かない。およそ、一回が5000字だ。本当のことを言うと、1986年を二つに分けて、後半は伊豆大島の噴火と、それにまつわる潜水についてで1回にしたかった。しかし、写真がない。噴火の伊豆大島での出来事は、イメージとして、今でも鮮烈に頭のなかに残っている。自分が撮ったカットも思い起こしことができる。もちろん、このイメージも時というフィルターで濾し取られているから、本当とはちかうかもしれないが、とにかく覚えていて、イメージとして思い出すこともできる。 しかし、そのイメージを筆にすることはできるけれど、絵として再現する事はできない。絵、写真がないから、1986年をひとまとめにするほかなかった。 昔と今と違うところは、今は、日常の生活の中でも、写真を大量に撮ることだ。ぶんかというものが発展することと、人が日常に撮る写真の量は、比例する。その写真の撮り方、使い方も、その量にしたがって変化している。その今のセンスで昔のことを書こうとする。写真を一枚も使わずに筆の力で表現してゆく文学もあるが、僕も望みとしては、筆の力だけで、表現したいと思わないでもないが、この連載のコンセプトが写真を使うことになっている約束だ。 これから写真事務所に行って写真をさがす。もはや、何度も何度も探した果てだから、もう見つかりはしないだろうが、やってみる。 #
by j-suga1
| 2015-01-08 14:11
| 日記
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2015年 01月 07日
月刊ダイバーの連載、1986年の事を書こうとしている。エピソードが多すぎて、整理ができない。切れないのだ。カメラマンに編集はできない。自分のカットが切れないのだ。書きたいことは全部書いて、編集にカットしてもらおう。と決めた。
昭和61年 1986年 2月 ☆ニュース・ステーション流氷ロケ、潮美 参加 ☆知られざる世界 日本テレビ、知床ロケ 西沢くん、竹村さん 後藤監督 3月 ☆1日 スガ・マリンメカニック事務員、大森ともこ、JPの五十嵐くんと結婚、披露宴 五十嵐は、女にもてすぎる。何かがあったら、何時でも戻って来い。五十嵐は親友だから良いのだが、来客はみんな普通の人、次第に固まってゆく。恐怖のスピーチ、と言われた。ともこは、しっかり録音して、何かがあったら五十嵐くんに見せると。その後、生まれた子、日本潜水会の忘年会に連れてきて、僕が抱いて孫とした写真をとった。その写真はどこかに消えている。後藤さんのお別れ会に出られないという電話が僕の携帯に入った。僕の携帯は相手が登録していないとでない。スガ・マリンメカニックの方にかけなおして、言付けを、その子が25歳になって、結婚の話が持ち上がっている。たしか女の子だった。 (この話は原稿と関係ないが、どこかできっちりと書こう。) 大森とも子と潮美 多分1982年 ☆潮美、就職を諦め、テレビのレポーター一本でゆく事を決意 ☆大阪湾、潮美は特別出演、ABC放送 ☆風邪で咳がひどい ☆ニュース・ステーション西別川ロケ、猛吹雪 撮影後、襟裳岬に移動、襟裳の春はなにもない春、なんにもなかった。 4月 ☆十和田湖ロケ レギュレーター凍結 水深40mからの急浮上 5月 ☆撮影部分を分社してアアクファイブテレビとすることにした。 ☆ニュース・ステーション積丹ロケ ☆八丈島で水中スクーターのテスト、潮美 ☆ニュース・ステーション小笠原は、潮美が行かないかないことになり、中川がカメラマンとして出ることになった。初めての一本立ちだ。 ☆テレビフォーラムの柿田川ロケ 6月 ☆ ニュース・ステーション佐渡ロケ出発 ナイトダイビングで平根崎の温泉、コブダイなど ☆水曜スペシャルの「女探検隊」メンバーのダイビング訓練のために八丈島へ、 ☆新しく購入するHL79E の検査に池上電気にゆく。 ☆田沼健二ガ、コモロ島からシーラカンスを持って帰ってきた。 ☆ニュース・ステーション佐渡のオンエアー、海中温泉で寝ているコブダイ ☆伊豆大島、水曜スペシャル、女探検隊ロケ、みみず浜の海の蟻地獄、実はこの蟻地獄が海の中の噴火口なのだ。 1986 7月 ☆日本テレビ山中さんとテレビのロケではない遊びにアラスカにゆく。 若いカメラマンの田口茂雄が、ブルックスの滝で熊と対決する。 ☆ニュース・ステーション 三宅島ロケ ジャック・モイヤーさんの話、レンテンヤッコの産卵行動 ☆「日本テレビ、フォステックスのマイクテストを東亜のタワーでやる。友人石崎の娘栄子にモデルを頼む。次の年、栄子は自動車事故で死亡、18歳 1986 8月 ☆ニュース・ステーション長崎ロケ ☆ニュース・ステーション 天草ロケハン ☆三宅島オンエアー視聴率は6%しかとれなかった。惨敗、しかし内容的には評価された。 ☆中川が小笠原からもどってきた。良いカメラワークで映像にキレがあった。 ☆ダイブウエイズ、新型のフルフェイスマスクができる。まだ、吸気音をマイクが拾ってしまう。 ☆ニュース・ステーション長崎ロケ、潮流が速くて苦労する。 ☆ニュース・ステーション天草ロケ ナイトダイビングで、トサカの林を撮る。 ☆船の科学館流れるプールに海水浴?に行く。 1986 9月 ☆バイカル湖ロケ 日本テレビ 米田をアシスタントにする。監督、野呂さん、陸上カメラ朝田さん。 ☆鶴町くんに任せていた、沖縄でのシャークの撮影は成功、タイガーシャークとシュモクザメが餌を撮るところが撮影出来ている。 ☆ニュース・ステーション瀬戸内海ロケ、僕も潮美も低調で、人間関係の行き違いが多くなる。日振島の海蝕洞、すごい洞窟で、調子を取り戻した。豊後水道、佐多岬、流れが速く、水深45m ☆山中さんの引退前、最後の知床ロケ、僕はニュース・ステーションのからみがあるので、カメラマンはできない。日本テレビ社員、勝見くんがやる。中川のパーティで、このごろ、いつも会う。今は日本テレビ子会社の社長さんだ。山中さんとは、世界を一緒に巡ったのに、最後のロケにつきあえない。 1986 10月 ☆豊後水道のオンエアーがあり、出来もよく視聴率も10%で首がつながった。 ☆久しぶりに茨城の人工魚礁調査、水深は50mでのスチル撮影 水深が深いと駆り出される。透明度2mで最悪。 ☆ニュース・ステーション 紅葉の十和田湖に出発 潮美は耳のトラブルで頭痛、低調で叱られてばかりいる。しかし、痛いとは一言もいわなかった。戻ってきてから医者に行く。内耳のトラブルの疑い。 ☆カイ・エンタープライズ(ニュース・ステーションの仲介元請け)が手形が落とせないと連絡してきた。700万円、僕の体調が悪くなる。お金のこと、潮美の不調、田沼の神経性減圧症、中川に予定している大分での60m潜水の理由のない不安、次の知床ロケが迫っている。 1986年11月 ☆ニュース・ステーション知床ロケ出発 鮭の産卵、鮭漁など ☆伊豆大島の噴火、ニュース・ステーションロケに出発 噴石落下の中で撮影。船のガラスは全部割れた。大島の人と一緒に避難。 ☆潮美、ニュース・ステーションスタジオに初出演 ☆ニュース・ステーション 伊豆大島水蒸気爆発の可能性のある水中噴火口撮影に出発、水曜スペシャルの蟻地獄がそれだった。大島への接近は禁止だから、不法?強行、爆発が起きれば僕は終わりだ。変色海域の水中撮影、潮美は連れて行けない。 やがて、伊東の手石島で水蒸気爆発が起こり、僕達のチームは危機一髪。 1986 12月 ☆知床の秋から冬、オンエアー 12.2% まず合格。水中撮影は勝った。 ☆全日本潜水連盟の理事会、お金のことでもめる。 ☆日本潜水会忘年会 ☆ニュース・ステーション忘年会 ☆海中開発技術協会の緊急理事会 全日本潜水連盟との関係について。 ☆冬の知床ロケに備えて、レギュレーターの凍結防止の工夫をダイブウエイズで打ち合わせる。低圧弁のレバー周辺にシリコングリースを塗れば解決する。毒ではないか、気分が悪くならないか人体実験。 ☆スガ・マリンメカニック忘年会、いくつかのトラブル発生、中川が席を立って消え、鶴町が会社をやめるという。 ☆1986年は大変な年だった。 1989年 1月 ☆、ニュース・ステーション知床ロケ、中継 大雪、レギュレーターの凍結、マイナス1℃潮美のマイクの不調、 2月 ☆ 与那国に出発 ☆ 与那国のあと西表に向かう。西表では、ダウンカレントに引きこまれて、カメラのケーブルで助かる。ガイドをお願いした佐伯さんは、二度と僕のロケには付き合いたくないという。 ここで日記が終わる。 #
by j-suga1
| 2015-01-07 08:16
| グラフィティ
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2015年 01月 06日
正月終了
1日、映画 フユーリーを観た。ブラッド・ピット主演の戦争映画だ。なぜ、戦争映画なんて観るのだ。と自問したのは今回が初めてだ。これまで、なんにも考えずに、面白ければ映画は、何でもいいわけだから、戦争映画を観てきた。なぜ、戦争映画を観るのか、考えさせられた映画だ。今のアメリカがなぜ、第二次大戦末期、今少しでドイツは降伏する。そのことがわかっていて、しかし、降伏する前に沢山の人が死ぬ。そういう話だ。それをなぜ、今の2014年に作るのだろう。戦争に意味はない。人はただ争い、殺しあうということを言いたかったのか?フユーリーとは、ギリシャ神話の復習の女神で、凶暴とか、猛烈とかいう意味だという。 今、ちょうど「とびきり陽気なヨーロッパ史、デランス・ディックス・ちくま文庫」を読んでいる。国と国が国境を接するヨーロッパで、縄張り争いを続け、人がころしあいの戦争を繰り返す歴史を陽気に描いたものだ。ヨーロッパの戦争の歴史がわかる。戦争を個人の視点で見ると悲惨だが、国と国との視点で、歴史的に鳥瞰して見ると、陽気な話になってしまう。個人の視点で見たら、悲惨でやりきれない。そして、相手を殺さなかったら、相手に自分が殺される。殺さなければ殺されるのが戦闘だ、という映画だった。 二日は初詣に深川不動へ、このことは昨日書いた。 三日は、駅伝を見て、年賀状を整理した。二日の初詣のブログをかいた。 駅伝は、青山学院大学が初優勝、しかも、往路の箱根で優勝候補をねじ伏せ、その勢いで、復路は区間優勝を積み重ねて、二位との差を10分以上、もちろん、驚異的な新記録で優勝した。あまり今年の駅伝には熱心ではなかったので、詳しくは知らないが、青学が優勝するなんて予想をしたスポーツ評論家は居なかっただろう。 およそ、競技スポーツで勝つためには、あるレベル以上の素質の選手を集めなければならない。だから、それは集めたのだろう。あとは、トレーニング+ピーキング+モメンタム+何か だと、フェイスブックに書いた。ピーキングとは、その時にベストのピークにもってくること、モメンタムは勢いだ。箱根の山登りで驚異的な記録で優勝候補の抜き去ったとき勢いに乗った。トレーニング+ピーキング+モメンタムは、すべて監督、コーチがつくり上げる。ダイビングの学連でも同様に監督、コーチは大事だ。青学の場合、最後の何か?は、楽しくやろうとしたことのようだ。楽しくなければ頑張れない。これまでの体育会系の駅伝は悲壮だった。楽しくしてしまったことが、もしも、優勝の原動力だったとすれば、これは革命的なことなのではないだろうか? 僕自身の大学でのコーチングは、楽しくが、目標だったけれど、楽しく、真剣に、愚直に、だった。自分の会社スガ・マリンメカニックでも、楽しく仕事をしよう、だった。あんまり成功しなかったが、苦しんでやっても同じように成功しなかっただろう。ならば、楽しかっただけ良い。ただ、気の緩みは、ダイビングでは事故につながる。スガ・マリンメカニックでは、厳しい、きちんとやろうとした田沼の指揮で死亡事故が起こり、いい加減な僕の指揮では無事故だった。もちろん、いい加減だったから無事故だったわけではないが、結果は、厳しくでも事故はおこるということになった。「須賀さんが緩かったから、気持ちが緩んだ」という意見もあろう。結果がすべてで、議論は意味が無い。青学の優勝の原動力が、楽しさだったとすれば、それは、本当に大変なことだ。 4日は、辰巳で、楽しく泳ぎ、沢山、上手な人たちが集まったので、フリスビーも最高だった。ここでは、楽しく自由に飛ぶ、フリスビーは空中戦のイメージだ。 5日、の今日は、辰巳のプールを借りる抽選会、じゃんけん大会だ。昔、今から3年まで、僕はじゃんけんで無敵だった。それが、ある時から、負けが続いている。今回も必要十分なだけは、確保したが、じゃんけんでは負けた。最後に一回だけ勝ったのがなんとかなるところにつながったのだが、最初のステージでは負けている。じゃんけんの勝利の要素は、モメンタム(勢い)だと思う。いかにして、勢いをつけるかだ。若い、勢いのある人には敵わない。しかし、負け犬になってはいけない。 ちなみにじゃんけんの結果だが、4月は、ダイビングプールは、5つ確保した。4月18日の土曜日について、じゃんけんに勝ッて取ったので、19日の日曜日、は連続二日になるので、降りてしまった。これがいけない。勝った勢いで、翌日の日曜日も取らないとモメンタムが逃げてしまう。深く反省している。 #
by j-suga1
| 2015-01-06 07:37
| 日記
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2015年 01月 05日
月刊ダイバーの原稿、お正月のうちに書かなければならなかったのですが、考えこんでしまっています。書きたいことの写真がないのです。今は画像が氾濫しています。その差が大きい。書きたい時点が1986年で、カメラは何台も持っていて、しかも、僕はカメラマンなのです。
言い訳の一つは、ビデオを撮るカメラマンで、それに集中していたこと。それから、一緒に動いていた監督の 監督の小早川さんが、僕に別のカメラを持たせなかった。仕事のカメラ以外を手にすると、露骨に嫌な顔をします。 それと、一緒に動いていた潮美が、ニュース・ステーションの専属になり、肖像権の一切が、テレビ朝日のニュース・ステーションのものになり、とある雑誌にスナップを提供したら、大問題にされたのです。潮美の肖像権だけでなく、TVロケの現場ではスチルととること警戒されます。どこかに出されたら、おおさわぎになります。テレビも映画も、舞台裏が製作者似意図とは、別の形で、出ることは、許されないのです。だから、映画ではスチルというスタッフが居て、専門に撮り、一元管理します。監督やプロデューサーがスナップをするのはいいのですが、メインのカメラマンがスナップをしていたのでは、職業倫理に欠けてしまします。一方で、スチルのカメラマンで名前のある人がテレビ番組のカメラをやるようになると、それはもう、仕方がない。左手にスチル、右手にムービーでも、大目に見てもらえます。それが今は、ムービーのカメラと、スチルのカメラが一緒になってしまっている。動画から静止画をとっても、4Kは、同等の画質になります。カメラは一つになっても、用途は一つではないから、プロとしては管理が厳しく要求されるでしょうが、1986年ですから、そろそろ、30年前ですから、もう良いのでしょうが、それでも、雑誌に使えるようなスチルを撮ってないのです。 #
by j-suga1
| 2015-01-05 07:21
| 日記
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2015年 01月 04日
このブログをアップすると、それは、フェイスブックとツイッターに反映するようにしている。フェイスブックの方では、これを読んで、コメントしてくれる方がいる。それはとても参考になる。ダイビングとは、「命の大切さと生きていることを実感できる そんなイメージです」そんなコメントをいただいた。とても良い答えだと思う。ではなぜ、命の大切さと生きていることを実感できるのだろうか?ここからの答えは人によって大きな違いがあるかもしれない。僕の答えは、もちろん、冒険スポーツだからだ。となる。
水中では、実に簡単に、「嘘だろう?」と思う感じで人が死んでしまう。そういう事故に3回出会っている。だからこそ、命が大事だという結論に到達するのだが、別の視点からみれば、本当に命が大事だったら、ダイビングなんてするべきではないとおもうのが論理的かもしれない。人はダイビングなどしなくても豊かに生きてゆかれる。 また、最先端の科学も、冒険するのでない限り、いまや有人、人間が水にはいること、ではなくて、無人で水中を探索しようとする。ジャムステックもとうに有人は視界から消している。 それでもなお、有人潜水をするのは、障害があれば、乗り越えようとして、乗り越えた時の、喜びがあり、生きていることを実感できるからだ。だから、冒険スポーツなのであり、(※スポーツについては後でのべる。)そこでは各人自己責任で命を大事にしなければならない。 ダイビングでは、いつも死神が隣にいるよう、思わなければいけないのだ。常に最悪の事態を予想しろというのがダイビングの鉄則の一つだ。最悪の事態がそこにある可能性があるならば、やめるのが一番安全だ。それでも行くダイバーは、もちろん死んではいけないのだが、僕の場合は自分の死の可能性をいつも、思いつめていた。だから、若いころ、僕は44歳で死ぬと思って、家族にもそうつたえていた。そのことを、娘の潮美は、朝日新聞の「おやじの背中」にかいている。「40で死ぬと言っていたのに、60まで生きて、さらにその先まで潜水するといっている。」生き抜いたのは、生存本能の方が強く、そして、運がよかった。こんな考え方をするダイバーは少数だけれど、かなりの人数がいる。 そんなダイバー気質を最もよく描いているのは、「木曜島の夜会:司馬遼太郎」だ。だから、誰彼となく、この本を薦めている。薄い文庫本のしかもその2分の1を占めている中編だから、ぜひ読んでほしい。面倒だから引用しないが、木曜島の白蝶貝を採るダイバーの10%は、死ぬか半身不随になる。木曜島の墓地には、日本人ダイバーの墓が林立した。親方はそんなダイバーを使って、大きな利益をあげる。それでも親方になれるのにならないでダイバーを続ける理由は、親方なんてつまらないものだからだという。当時のダイバーたちは、冒険的なスポーツマンであったと思う。 少し話が横道に進んでしまったが、生と死のすきまに身を置くから、生きていることの素晴らしさを実感でき、自然の中で自分を取り戻す活力を得られるのだ。と僕は思う。 話を元に戻して、グラフィティのころ、1980年ころまで、冒険は危険を敢えておかすものであり、探検は冷静に冒険を避けて、目的を達成する行動だと思っていた。そして世間一般の考えも、探検は良いけれど、冒険はいけないということだった。しかし、命を賭けることが冒険ではない。では、探検と冒険の違いは?およそ2年ぐらい、一生懸命考えた。ニッポン潜水グラフィティを書いている間ずっとと言ってもいい。 探検とは、「知的情熱の肉体的表現だ」という、英国のスコット南極探検隊のノンフィクションを書いたチェリー・ガラードの言葉が好きだ。古来、この言葉に魅せられて探検を志した若者は多い。だから、僕もダイビングを冒険ではなく、探検にしようと思った。 PADIも同じように考えたらしく、「ダイビングは水中探検です」と何かに書いてあった。 しかし、探検と冒険のちがいは?「「冒険」と「探検」の違いは、探検とは、帰ってくるかどうかです」と言った人がいた。で、冒険は危険、探検は安全?そんなことはない。探検とは目的意識が強いから、返って危険とも言える。先ほどあげた、英国のスコット探検隊は、全員が死んだ。命がけの探検は枚挙の暇もない。では、探検と冒険との違い、線引は? また、ウイキでみると、「使われている漢字から意味を考えると『冒険』は危険を冒すと書き『探検』は探り、しらべると書く。冒険は危険な事にチャレンジし克服する事を目的とするが、探検の場合、未知なることを探りしらべる事が目的であり、その過程で危険を伴うことが多いため両者は混同されやすいが『けん』の字が異なるように本来別の意味である。」 冒険とは必ずしも危険なことにチャレンジしていることだけではないと、すでにのべた。危険を想定するけれども、危険を冒すことではない。昔は、僕も冒険とは危険を冒すことだとおもっていた。にも関わらず生きたのは、運が良かったことと、経験の積み重ねで、感が働いて。危険を避けられたからだ。だから、冒険とは、危険を前にして、危険を避けることで、「危険を冒すこと」という定義は、認められないが、「探検の場合、未知なることを探り調べる事が目的であり、その過程で危険を伴うことが多い」と言うのは半ば同意する。しかし、未知なるものが何を指すのか、もう地球上には、地理学的に未知なるものはそれほど残っていない。水中の殆ども、未知なる部分はあまり残ってはいない。未知なるものでなくても、調べる価値のあること、ほんの小さい未知、疑問でも、探査する必要のあるものを探り調べることは探検といえる。 僕の定義では、探検とは、探査、何かを調べること、そして調べたことを記録し、その記録に基づいて、世の中に公表、発表することとした。記録して発表しなければ、それは冒険であり、探検とはいえない。 こうするとほとんどすべての自然界の調査は、探検のカテゴリーに入れることができる。僕は自分の仕事、お金を稼ぐ仕事として、調査を行ったが、すべて探検のつもりだった。テレビ番組の撮影も、調べ、記録して、公表するのだから、探検とみなすことができる。 まとめると、あえて決意して、未知の領域に踏み込むこと、困難に立ち向かうことを冒険という。その冒険の目標が、調査、探査であり、その状況を記録して公表するものを探検という。 ダイビングで言えば、体験ダイビングは、それが初めての体験であれば、その人の生涯で最大級の冒険である。だからこそ、多くのダイバーは、最初に潜った時のことを生涯忘れない。 #
by j-suga1
| 2015-01-04 22:10
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